ロシアで2番目の人口を誇る民族タタール人について、歴史を中心にご紹介します!
タタール人と聞いて、モンゴル人やアジア系の民族を思い浮かべる人も多いと思いますが、ロシア第2の民族である”タタール人”は、実はちょっと様子が違います。
タタール人(Татары)
タタール人は、ロシア西部のタタールスタン共和国を中心にロシア各地に暮らす民族。ロシアでの人口はロシア人に次いで2番目に多いです。
ちなみに3番目はウクライナ人、4番目はバシキール人、5番目はチュヴァシ人。
ロシアでの総人口は5,319,877人。そのうち約38%の2,012,571人がタタールスタン共和国に暮らしています。バシコルトスタン共和国にも1,009,295人が暮らしています。(2010年の統計より)ロシア国外に暮らすタタール人も多いです。
タタール人には「ヴォルガ・タタール人」「シベリア・タタール人」「クリミア・タタール人」など、地域や民族の歴史によってさらに分類がありますが、この記事では「ヴォルガ・タタール人」を中心に取り上げていきます。※特に記載がない場合は「ヴォルガ・タタール人」について述べています。
テュルク系の民族で、イスラム教が基本です。(ロシア正教徒もいます。)
形質的にはコーカソイド(白人)ですが、多少モンゴロイド(黄色人種)の遺伝子も入ります。
タタール人の歴史
現代のタタール人は、ヨーロッパから中国に至るまでの様々な民族が混血し、中央ユーラシアで誕生したと考えられています。
そもそも「タタール」という言葉は、古くから様々な民族を指し示すのに使われてきました。モンゴル系やツングース系の遊牧民をさすのに使われたり、13世紀のモンゴル帝国の勃興以降はモンゴル人や東アジア系の民族全体をさすのにも使われていました。
では、現代のロシア第2の民族である「タタール人(ヴォルガ・タタール人)」はいったい誰なのでしょうか。
13世紀、モンゴル帝国が侵攻してその領土となるまでは、中央ユーラシアにはヴォルガ・ブルガールという国が存在しました。
このヴォルガ・ブルガール人がタタール人やチュヴァシ人の祖先だと考えられています。ヴォルガ・ブルガール人は10世紀以降にイスラム化しましたが、イスラム教に改宗せず伝統宗教を信じ続けた人たち(ロシアの支配下でロシア正教に改宗)がのちのチュヴァシ人になったと考えられています。
13世紀にヴォルガ・ブルガールはモンゴル帝国に滅ぼされ、その後モンゴル帝国は分裂し、中央ユーラシア一帯はキプチャク・ハン国の支配下に入ります。
このキプチャク・ハン国の主な住民だった民族が、現在のタタール人の祖先だと考えられています。
キプチャク・ハン国は15世紀に分裂。カザン・ハン国、アストラハン・ハン国、シビル・ハン国、クリミア・ハン国が次々に誕生します。このうちカザンを首都にしたカザン・ハン国を建てたイスラム教徒のテュルク系民族とその子孫こそが、タタール人です。※アストラハン・ハン国はアストラハン・タタール人、シビル・ハン国はシベリア・タタール人が、クリミア・ハン国はクリミア・タタール人が建てました。
カザン・ハン国はモスクワ大公国(のちのロシア)などと断続的に戦争を続けながらも繁栄します。(カザン・ハン国時代、一部のタタール人は既に徐々にロシアの支配下に入っていきました。)
しかし、東方への進出を目論むロシアのイヴァン4世によって、四度の遠征の末に1552年にカザン・ハン国は滅ぼされロシア領になりました。
カザン・ハン国滅亡の際、タタール人はカザンから追放され(17世紀半ばごろまで)、ロシアや周辺国各地に離散しました。ロシア政府の厳しいキリスト教化政策もあり、16世紀~18世紀にかけてはロシア各地でタタール人の反乱がおきます。(ロシア正教に改宗したタタール人も増えました。)
その後、18世紀中盤、エカチェリーナ2世の時代になると、イスラム教の信仰が認められ、タタール人はその地位を認められるようになりました。
19世紀以降はタタール人の民族意識や、文学などの文化が発展します。
ロシア革命時には、近隣のバシキール人やチュヴァシ人と連携して独立を目指す動きや、ソ連邦内でイスラム教徒の民族でまとまって自治を実現させようといった動きがありましたが実現せず、1920年にタタール自治ソビエト社会主義共和国がソ連邦内に建国。
ソ連崩壊後は紆余曲折を経て、ロシア連邦内のタタールスタン共和国が成立し、現在に至ります。
タタール人小話
タタール人はロシアで2番目に大きな人口を誇る民族であるため、実は日本で有名なロシアの人にも、タタール人がいます。
たとえば、フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワ選手も、タタール人です。YouTuberのあしやさんもタタールの方ですね。
他にもタタール人の有名人がこちらの以下の2つのサイトに載っているので、興味のある方はご覧ください。(2番目のリンクは日本語対応)
そして、タタール語の挨拶には、タタール人の歴史が反映されています。
「こんにちは」を表す「Исәнмесез(イシャンメセズ)」は、直訳すると「生きているか」になります。
このあいさつの由来はイヴァン4世のカザン・ハン国征服・カザン占領の時代にさかのぼります。タタール人はカザンから追放・迫害され、粗末な家で暮らし、飢えや寒さや病気で大勢が死ぬ過酷な状況で生き延びることになりました。その時代、身内や知人を訪ねたときに「Исәнмесез(生きているか)?」と尋ね合ったことが由来…と言われているそうです。
以上、タタール人の紹介でした!
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