西シベリアに暮らすタタール人、かつてはシビル・ハン国の中心民族として活躍した、シベリア・タタール人を紹介します!
シベリア・タタール人(Сибирские татары)
シベリア・タタール人はロシアの主に西シベリアに暮らすタタール人の一派。
ロシアでの総人口は、統計上タタール人の合計に含まれるため、正確な数は分かりませんでした。2010年の統計では6,779人とされていますが、ロシア全土に約19万人のシベリア・タタール人がいるという説もあります。
ケメロヴォ州や、クルガンスク州、ノヴォシビルスク州など、西シベリアを中心にシベリア各地に居住しています。
テュルク系の民族で宗教はイスラム教徒。
写真を見る限りでは、ヴォルガ・タタール人よりもより東洋系の黄色人種の遺伝子が濃い見た目をしている人が多いですが、ヨーロッパ系(白人)の見た目をしている人もいます。自身も何人かシベリア・タタール人の知り合いがいますが、彫りが深い東洋系の顔立ちをしていました。
なお、シベリア・タタール語は、タタール語の方言だとする説と、タタール語とは別の言語だとする説があり、はっきりしていません。
シベリア・タタール人の歴史
シベリア・タタール人は、タタール人同様にユーラシア大陸北部の様々な民族がまじり合って成立した民族です。
モンゴル帝国侵攻以前、すでに西シベリアの草原にはテュルク系の民族が定着していました。
13世紀前半、西シベリア一帯はモンゴル帝国に征服され、モンゴル帝国分裂後はキプチャク・ハン国の支配下に入ります。
そのキプチャク・ハン国も分裂し、西シベリアには15世紀後半にシビル・ハン国が成立しました。
このキプチャク・ハン国とシビル・ハン国の時代に、土着のテュルク系民族と、モンゴル系民族やその他の民族が混血し、シベリア・タタール人が成立したと考えられています。
シビル・ハン国は、現在も続くチュメニやトボリスクといった都市を建設するなど、繁栄を見せました。
このシビル・ハン国の時代に、シベリア・タタール人の文化や民族社会が完成したと考えられています。
しかし、シビル・ハン国は16世紀後半から東方進出を目指すロシアと衝突するようになります。シビル・ハン国軍は勇敢に戦い、何度かロシア軍を撃退しましたが最後は力尽き、1598年に滅亡。ロシアの支配下に入りました。
シビル・ハン国の滅亡により、シベリア・タタール人はロシアの民族として組み込まれることになりました。
ロシアの支配下に入ってからは、ロシアの支配から一度も脱することはなく、現在に至ります。
シベリア・タタール人小話
シベリア・タタール人の伝統的な生業は、小麦やライ麦などを育てる農業と、牛などの牧畜業でした。川や湖の近くに暮らしていた集団は、漁業も同時に行っていたそうです。また、革の工芸品や木を使った日用雑貨など、手工業も盛んでした。
そんなシベリア・タタール人の伝統文化は、ソ連時代に衰退してしまいました。ただ、1980年代末から1990年代初頭にかけてシベリア・タタール人の民族意識が高まり、シベリア・タタール人協会が成立しました。同協会のもと、シベリア・タタール人の文化の復興、他のタタール人との経済・文化関係の強化、他のロシアの民族との友好と相互理解に向けた取り組みが行われています。
以上、シベリア・タタール人の紹介でした!
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