今回は古代からカフカースに暮らす民族、レズギ人を紹介します!
レズギ人(レズギン人)(Лезгины)
レズギ人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の1つ。
ロシアでの総人口は473,722人。そのうち約81%の385,240人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
ロシア国外ではアゼルバイジャンに約193,300人が暮らしています。(2016年の統計より)
カフカース系の民族でイスラム教徒。
日本語では「レズギン人」「レズギン族」とも表記されます。
レズギ人(レズギン人)の歴史
レズギ人は古代からダゲスタンの南東部とアゼルバイジャンの北部に暮らしていたと考えられています。
紀元前2千年期末に当地に誕生したカフカス・アルバニア王国(現代のアルバニアとは無関係)に暮らしていた民族の1つだったと考えられています。カフカス・アルバニア王国は古代ギリシャやローマの資料にも登場する豊かな国でした。
その後カフカス・アルバニア王国は、長い年月の間に古代ローマ、パルティア(のちのペルシャ、イラン)やハザール、アラブ人やアラン人に侵略されます。結局8世紀にアラブ人の支配下で滅亡しました。
13世紀、レズギ人が暮らしていた地にモンゴル帝国が侵攻します。レズギ人は最終的にこれを撃退し独立を保ったと考えられています。
16世紀~18世紀にかけて、レズギン人の地はオスマン帝国(トルコ)とペルシャ帝国(イラン)の係争地となり、時にはアヴァール人やダルギン人、ラク人などとともに両国に対して抵抗しました。
18世紀前半、ペルシア帝国の支配崩壊の影響でレズギ人は3分割されます。一部はアゼルバイジャンのクバ・ハン国領に、一部は部族連合を形成し、さらに一部はクラフ連合(のちのキュリン・ハン国Кюринское ханство)を形成します。※クバ・ハン国領のレズギ人については、これ以降はアゼルバイジャンの歴史の範囲になるので記載を割愛します。
現代のロシア領にいたレズギ人は、1812年にキュリン・ハン国を建国。カフカース侵略を開始したロシアの支配を一度は認め、その保護国になります。
しかし、レズギ人たちは1838年ごろからダゲスタン各地の対ロシア反乱に参加するようになり、1842年からはアヴァール人やチェチェン人らが建てたイマーム国に参加。ロシアに対して抗戦します。
1859年にイマーム国はロシアに屈服し、レズギ人も再びロシアの支配下に置かれます。キュリン・ハン国もハンの暴政もあり1864年に廃止されました。
1877年にオスマン帝国が扇動したダゲスタン各地での対ロシア反乱にレズギ人も加わりましたがすぐに鎮圧されました。
ロシア革命後、ソ連時代はダゲスタン自治ソビエト共和国の民族の1つとなります。1930年にまた反乱を起こしますが、数か月で鎮圧されました。その前後でレズギ人の自治州や独立国家をつくろうとする動きがあったとされています。
1941年~1945年のナチス・ドイツとの大祖国戦争では、多くのレズギ人ソ連兵が活躍したそうです。
ソ連崩壊後はダゲスタン共和国を構成する一民族となり、現在に至ります。
レズギ人(レズギン人)小話
レズギ人の古くからの村は、山の斜面の水源の近くに作られ「フイル(хуьр)」と呼ばれます。村の家は基本的に石造りです。
各村には礼拝用のモスクと「キム(ким)」と呼ばれる広場があります。このキムでは住民が集まって村落運営のための問題などが議論されるそうです。
写真は「フイル(хуьр)」を写したものです。いつかこのような村に行ってみたいですね。
ちなみに、新しい村や市街地は平地に建設されており、そこに学校や病院などは多くあるそうです。
以上、レズギ人の紹介でした!
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