むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤート共和国に関する情報を中心に発信しています。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで勤務。2022年夏より同地に渡り再就職した日本語教師のサイトです。

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アブハズ人 ~ジョージアと対立するアブハジアの民族の歴史と文化~

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現在ジョージア(グルジア)と対立を続ける、未承認国家アブハジア共和国の中心民族、アブハズ人(アブハジア人)の歴史と文化を紹介します!

 

アブハズ人(アブハジア人)(Абхазы)

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アブハズ人は南カフカースの未承認国家アブハジア共和国(122,069人:2011年)やトルコ(約162,000人:2011年)に多くが暮らす民族。日本語では「アブハジア人」とも呼ばれています。

ロシアでの総人口は11,249人。そのうち約32%の3,604人がモスクワ市、2,092人がクラスノダール地方、他は北カフカースやサンクトペテルブルクに多くが暮らしています。(2010年の統計より)

 

カフカース系の民族で宗教は、キリスト教とイスラム教。キリスト教の方が多数派です、

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緑がアブハジア共和国。国際的にはグルジア(ジョージア)領の未承認国家。

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アブハジア共和国の旗。アバザ人の民族旗にも描かれた赤地に白い手が描かれている。

アブハズ人(アブハジア人)の歴史

アブハズ人の起源はよく分かっていません。北カフカースにもともと暮らしていた民族だとも、西アジアやアフリカ北東部から移住してきた民族だとも考えられています。紀元前8世紀ごろにはカフカースにすでに都市を築いていたようです。紀元前6~1世紀には、現在にも続く都市がいくつか建設されました。

 

1世紀ごろにアブハジア人が暮らしていた地は、古代ローマの支配下に入りました。55年にはキリスト教が伝わり、広まっていきます。ローマ帝国の東西分裂後は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の支配下に入りました。

 

7世紀末、アブハジア人が暮らしていた地はアラブ人の侵略を受けますが、アブハジア人やビザンツ帝国軍はこれを撃退しました。

 

8世紀以降ビザンツ帝国は弱体化。独立した王国として、8世紀末までにアブハジア王国が成立しました。

11世紀~15世紀は新たに勃興したグルジア王国の支配下に入り、その影響を強く受けました。13世紀にはイタリアからジェノヴァの商人が港に多くやってくるようになり、交易が始まりました。

 

15世紀後半、アブハジア沿岸にトルコ艦隊が現れ、グルジアと戦争になります。その戦争の結果アブハジア人は再び独立を回復し、アブハジア公国が成立しました。

17世紀からオスマン帝国(トルコ)の侵略が始まり、アブハジア公国はその属国になりました。

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1847年に描かれたアブハジア公国の諸侯たち。

19世紀初頭、ロシア帝国はオスマン帝国に対する攻勢を強め、1810年にアブハジア公国はロシアの支配下に入りました。同年、ロシアの支配を嫌ったアブハズ人5,000人がオスマン帝国に亡命しました。

ロシアの支配下に入った後も、アブハジア公国はロシア領内の自治領として1864年6月まで存続しました。

 

1864年6月、アブハジア公国は廃止され、ロシア帝国領内のスフミ軍事地区となりました。

1866年、ロシア帝国政府による農地改革に反対するアブハジア人の大規模な反乱が発生。反乱は鎮圧され、1867年の夏には約2万人のアブハズ人がオスマン帝国に亡命しました。

1877年~1878年の露土戦争で、アブハズ人の一部はオスマン帝国に加担して参戦。その結果、ロシア帝国政府の怒りを買い、オスマン帝国に味方して戦ったアブハズ人は強制労働や辺境への流刑といった憂き目に遭いました。この戦争で5万人以上のアブハズ人がオスマン帝国に亡命しました。

その結果、旧アブハジア公国におけるアブハズ人の人口が減少。ロシア帝国政府はほかの民族の移住を促しました。

 

1917年、ロシア革命によってロシア帝国が崩壊すると、紆余曲折を経て1921年にソ連領内にアブハジア・ソビエト社会主義共和国が成立。

1931年、アブハジア・ソビエト社会主義共和国はアブハジア自治共和国に格下げとなり、グルジア・ソビエト社会主義共和国の支配下に入りました。

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アブハジア共和国の旗を持った子どもたち。

Apsuwara - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=7766911による

ソ連崩壊直前、アブハジア自治共和国内では民族運動が活発化。アブハジア人の独立を目指す動きが広がりますが、グルジア側はそれを拒否する動きを見せました。

1991年グルジア独立。

1992年7月23日、アブハジア自治政府がグルジアからの独立を宣言。それを認めないグルジア政府は軍を派遣し戦争となりました。戦争の結果、グルジアはアブハジア自治政府を一度は廃止することに成功します。

 

1992年9月以降、アブハジア側が反撃を開始。1992年末にはアブハジア側はスフミ以西の掌握に成功。その後も攻勢を続け、1993年9月30日アブハジアは旧領の回復に成功しました。

この戦争ではアブハジア・グルジア双方で民族虐殺や戦争犯罪が発生したとされています。

 

戦後、1994年11月アブハジアは新憲法を採択。1999年には国民投票でアブハジアの独立を採択。

2008年にはロシア、ベネズエラ、ニカラグア、2009年にはナウル、2011年にはツバルとバヌアツがアブハジアのアブハジアの独立を承認しましたが、国際的には認められず、未承認国歌アブハジア共和国として現在に至ります。

 

2023年7月現在、アブハジアにはロシア軍が駐留しています。ただ、アブハジア共和国にはロシア連邦加入の意思はなく、ロシアの支援を得つつ、あくまでアブハジア共和国の国家としての独立を、ジョージアに求め続けているという状況です。(この点、昨今のウクライナ情勢は似ているようで異なる点が多いので注意が必要です。)

 

アブハズ人(アブハジア人)小話

アブハズ人の文化の特徴はその音楽。アディゲ人やグルジア人のものに近く、歴史や英雄を歌った歌、農耕・牧畜・狩猟などに関連した労働歌など、多くの伝統的な音楽が残されています。

結婚式などで披露される「Радеда(ラジェーダ)」は特に有名な音楽です。

そのラジェーダの歌の動画を見つけたので、シェアします。


Didgori Choir•Radeda•(Abkhazia region)/რადედა (აფხაზეთი)

 

以上、アブハズ人の紹介でした。

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