今回はダゲスタンの少数民族、アグール人を紹介します!
こちらも日本語版Wikipediaには載っていない民族です。(2020年11月25日現在)
アグール人(Агулы)
アグール人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の1つの少数民族。
ロシアでの総人口は34,160人。そのうち約82%の28,100人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
カフカース系の民族でイスラム教徒です。
アグール人の歴史
アグール人もダゲスタンの地に古代から暮らしていた民族だと考えられています。
アグール人の祖先は、紀元前2千年期末に当地に誕生したカフカス・アルバニア王国(現代のアルバニアとは無関係)に暮らしていた民族の1つだったと考えられています。カフカス・アルバニア王国は古代ギリシャやローマの資料にも登場する豊かな国でした。
その後カフカス・アルバニア王国は、長い年月の間に古代ローマ、パルティア(のちのペルシャ、イラン)やハザール、アラブ人やアラン人に侵略されます。結局8世紀にアラブ人の支配下で滅亡しました。
このアラブ人の侵略を機に、イスラム教がアグール人に広まっていきました。
13世紀にアグール人が暮らしていた地にモンゴル帝国が侵攻。アグール人はモンゴル帝国に対して徹底抗戦し、その記録が残っているそうです。
14世紀以降アグール人は、ラク人が建てたカジクムフ王国(Казикумухское шамхальство)の支配下で民族共同体を作っていきました。
カジクムフ王国は15世紀に最盛期を迎え、1556年にロシアと国交を樹立。しかし1642年、長い内戦の結果カジクムフ王国は分裂してしまいます。
どうやらこの分裂の後、アグール人は独立していったようです。
16世紀以降、アグール人の暮らしていた地はオスマン帝国(トルコ)とペルシャ帝国(イラン)、後にロシア帝国の係争地となりました。時にはオスマン帝国の、時にはペルシャ帝国の支配下や影響下に入りながらも、民族は存続します。
18世紀に”ペルシャのナポレオン”の異名を持つナーディル・シャーの侵略を苦戦しながらも撃退した記録が残っています。
1812年、アグール人の暮らしていた地は北から侵略してきたロシアの支配下となり、ロシアの保護国のキュリン・ハン国領となります。
ただ、1840年代からアグール人はイマーム国に参加。ロシアの侵略に対して徹底抗戦を始めます。
※イマーム国…アヴァール人やチェチェン人が建国した、ロシアの侵略に徹底抗戦するイスラム教軍事国家。
1859年にイマーム国がロシアに屈服。これによってアグール人も再びロシアの支配下に戻りました。
その後アグール人は、ソ連時代にダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国の一員となり、ソ連崩壊後はロシア連邦ダゲスタン共和国の一員として現在に至ります。
アグール人小話
アグール人は伝統的に農業や牛などの牧畜業に従事していました。現在でも牧畜は盛んに行われ、よく整備された酪農場や牧草地がアグール人の暮らす地にあります。
また、羊からとれた毛を使って様々な手工芸品も作られています。特に絨毯が有名だそうです。タバサラン人のタバサラン絨毯と並び、アグール絨毯も高い評価を受けているそうです。
以上、アグール人の紹介でした!
これまで紹介した民族はこちらから!