今日はカフカースでは珍しい、やや東洋系の見た目の「ノガイ人」を、歴史を中心に紹介します!
ノガイ人(Ногайцы)
ノガイ人はダゲスタン共和国の基幹民族の一つ。日本語では「ノガイ族」と表記されることも多いです。
ロシア全体では103,660人、そのうち約39%の40,407人がダゲスタン共和国に、約21%の22,006人がスタヴロポリ地方に、その他周辺のカフカース地域に多くのノガイ人が暮らしています。(2010年の統計より)
テュルク系の民族で、イスラム教徒です。
人種の面ではモンゴロイド(黄色人種)をベースとして、コーカソイド(白人)の遺伝子も混ざっていますが、モンゴロイドの遺伝子の方が優勢のため、カフカ―スでは珍しくやや東洋系の見た目をしています。(写真を見る限りでは、かなり個人差はあるようです。)
ノガイ人の歴史
ノガイ人のその成り立ちははっきりとはわかっていません。
13世紀のモンゴル帝国の侵略と分裂で、現在の南ロシア~中央アジアにかけて成立したジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の民族の一つだったそうです。
1440年代、ノガイ人はジョチ・ウルスの崩壊に伴い、「ノガイ・オルダ」と呼ばれる国家をカスピ海北岸に建国します。この国は遊牧民の部族連合政権でした。
16世紀前半にロシアとの関係が深まり、ノガイ・オルダは多くの馬や羊を輸出、衣服や鉄、銅などを輸入し、軍事協力も行っていました。
しかし、16世紀中ごろはノガイ・オルダの中で内紛が発生。結果として3つの政権に分裂してしまいます。その際に一部がロシア領やクリミア・ハン国領に移住。ロシアの保護下に入ったノガイ人はロシアの戦争にロシア軍として参戦しました。
1634年にははるばる東方から大移動してきたカルムイク人がノガイ・オルダを侵略。その結果ノガイ・オルダはほぼ崩壊し、多くのノガイ人がより西方のクリミア・ハン国領内に移住しました。
クリミア・ハン国に移住したノガイ人たちはクリミア・ハン国の宗主国であるオスマン帝国の保護下に入ります。
しかし1768年に発生した露土戦争でオスマン帝国が敗北。オスマン帝国の衛星国だったクリミア・ハン国は独立国となります。そして1768年の戦争の講和条約をロシアは勝手に破り、1783年にクリミア・ハン国はロシア領に併合されます。
クリミア・ハン国併合の際、イスラム教徒だったノガイ人はウラル地方などへの強制移住をロシア政府から通達されます。
これに猛反発したノガイ人は大反乱を起こしますが、スヴォロフ将軍率いるロシア軍に敗北。5000人~1万人の兵士が死亡し、多くの女性や子供も命を落としたと言われています。
反乱の結果、ウラル地方への強制移住はなくなりましたが、北カフカース全域に分散させられて住むことになりました。
1853~54年のクリミア戦争では、旧クリミア・ハン国領のメリトーポリに住んでいたノガイ人がロシア軍を助けて戦いました。しかし戦後にロシアは、メリトーポリのノガイ人を「トルコに同情を抱いている」として非難、迫害。結果として多くの人々がオスマン帝国に逃亡しました。カフカース戦争後にクバンに住んでいたノガイ人も迫害され、一部がオスマン帝国に逃亡しています。オスマン帝国に移住したノガイ人は、現地の民族と同化しました。
ロシア領に残ったノガイ人は伝統的な遊牧民の暮らしや、一部は18世紀からの農耕生活を続けていましたが、1917年のロシア革命以降はソ連政府の政策により定住化・ロシア化。現在に至ります。
16世紀以降はロシアに振り回される歴史を送っていますね…。味方したことも多いのに迫害されるとは…。
ノガイ人小話
ノガイ人は遊牧民であったためか布や革、羊皮、フェルトの製造や加工に優れ、美しいマントやブーツ、頭飾り、絨毯を製造し、現在にもその伝統が残っているそうです。
以上、ノガイ人の紹介でした!
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