今回はダゲスタンで2番目に大きな民族にしては謎が多い、ダルギン人の歴史や文化をご紹介します!
ダルギン人(Даргинцы)
ダルギン人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の1つ。
ロシアでの総人口は589,386人。そのうち約83%の490,384人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
カフカース系の民族で、宗教はイスラム教。
ダルギン人の歴史
ダルギン人の成立についてはハッキリしたことは分かっていません。古くからカフカースに暮らす民族だとも、他のカフカースの民族やテュルク系民族、イラン系民族が混血して比較的遅くに成立したともいわれています。
はじめてダルギン人の名前が歴史に現れるのは15世紀に入ってからです。
ダルギン人は19世紀までは緩やかな部族連合を作っていた他、一部はカイタグ王国(Кайтагское уцмийство)の支配下、タルコフ王国(Тарковское шамхальство)の支配下に暮らしていました。
※Уцмийство、Шамхальствоの適切な訳語が見つからず、自身でも考えられなかったため、便宜上この記事ではでは「王国」と記載します。
1817年からロシアがカフカースの完全平定を目指して起こしたカフカース戦争では、ロシアに対して抗戦。
1834年、チェチェン人やアヴァール人などがロシアの侵略に抵抗してつくったイマーム国のトップにシャミールが就任します。ダルギン人はこのイマーム国に加わり、1859年のイマーム国降伏までロシアに対して抗戦しました。
1877年、オスマン帝国(トルコ)の扇動によって起きた大規模な反ロシア軍事蜂起にダルギン人も参加しました。
ただ、その後は管見の限りでは目立った反乱の記述は見つかりませんでした。
ソ連時代はダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国の一民族として、ソ連崩壊後はダゲスタン共和国の一民族として現在に至ります。
ダルギン人小話
ダルギン人の面白い特徴の一つに、
「20世紀まで文字は存在したが、ダルギン語で書かれた文学は存在しなかった」
ということがあります。
ダルギン人は存在が確認できる15世紀~1928年までは(1860年以降はロシア文字も徐々に使用)アラビア文字を使っていました。しかし、文学に関してだけは口承で伝えられてきたそうです。
このあたりがダルギン人の14世紀以前の歴史がよく分かっていない一因かもしれませんね。
ダルギン人も民族舞踊が有名だそうなのでこちらにシェアします。(正直、他のカフカースの民族の踊りとの違いはよく分かりません💦)
Ансамбль "Адат" - Даргинский танец
以上、ダルギン人の紹介でした!
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