むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤート共和国に関する情報を中心に発信しています。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで勤務。2022年夏より同地に渡り再就職した日本語教師のサイトです。

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アヴァール人 ~反露カフカース戦争で活躍した民族~

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今日はロシアに最後まで抵抗したカフカースの民族の一つ、「アヴァール人」を歴史を中心に紹介します!

19世紀後半までチェチェン人などとともにロシアに抵抗したカフカースの民族の1つですが、それ以降の両者の歴史はかなり差があります。

※世界史に出てくる「アヴァール人」とのつながりはわかっていません。別の民族だと考えられています

 

アヴァール人(Аварцы)

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アヴァール人はロシア連邦、北カフカースのダゲスタン共和国の基幹民族の1つ。

ロシアでの総人口は912,090人。そのうち約93%の850,011人がダゲスタン共和国に暮らしています。

ロシアでは8番目、ロシア領の北カフカースでは2番目に人口の多い民族です。(2010年の統計より)

アゼルバイジャンやトルコにも、それぞれ5万人以上が暮らしているそうです。

 

カフカース系の民族で、宗教はイスラム教。

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赤がダゲスタン共和国。カスピ海に面しています。

Автор: Stasyan117 - собственная работа, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39697401

アヴァール人の歴史

アヴァール人の歴史は古く、その祖先は紀元前2000年紀末に成立したカフカス・アルバニア王国を構成した部族だとされています。

※世界史に登場する、6世紀~8世紀に東欧を侵略した「アヴァール人」とは別の民族と考えられています。

 

6世紀に現在のダゲスタンの地にアヴァール人の祖先が建てたサリルというキリスト教の王国が成立します。この王国はダゲスタンで1番の強国として13世紀まで栄えました。サリル王国の時代にアヴァール人は民族として成立したと考えられています。

 

12世紀ごろにサリル王国にイスラム教が流入、国民がイスラム化しました。

12世紀にサリル王国は分裂。外の異民族との戦争のときだけ、1つの集団としてまとまるようになります。

13世紀半ばまでにイスラム教国のアヴァール・ハン国が成立し、アヴァール人の地は再統一されました。このアヴァール・ハン国は19世紀まで存続します。

 

13世紀半ば、アヴァール・ハン国にモンゴル帝国が侵攻。しかしアヴァール人が頑強に抵抗したためモンゴル側は作戦を変更。1242年モンゴル帝国(モンゴル帝国分裂後はキプチャク・ハン国)とアヴァール・ハン国は同盟を結びます。結果、アヴァール人の独立は維持されました。

 

1730年代に入ると、アヴァール・ハン国はペルシア(現在のイラン)と衝突するようになります。当時のペルシアは「ペルシアのナポレオン」と言われた皇帝ナーディル・シャーが、各地を侵略し領土を拡張していました。

アヴァール・ハン国を含むダゲスタンも侵略されペルシア領になりますが、アヴァール人は頑強に抵抗。

結局、1741年秋に5日間にわたって行われた戦いでアヴァール人が大勝利。ペルシアの支配から解放されました。この戦争は民族叙事詩の中でもよく扱われているそうです。

 

1803年、アヴァール・ハン国の一部が北から侵攻してきたロシア帝国に奪われます。

ロシアは徐々に支配地を拡大。占領された地ではアヴァール人は極めて酷い扱いを受け、ロシアへの敵対感情が増幅していきました。

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アヴァール人男性を描いた19世紀の絵。Автор: Григорий Григорьевич Гагарин - Ума-нуцал (Умахан) Великий (очерк истории Аварского нуцальства второй половины XVIII в.), Общественное достояние, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=40880395

1817年にロシアとカフカースの民族が戦ったカフカース戦争(コーカサス戦争)が開戦。

1820年代にはダゲスタン各地で反ロシア運動が発生。チェチェン人や、アヴァール人などのダゲスタンの各民族はイスラム教を軸に団結し、1829年にイマーム国を北カフカースに建国します。イマーム国は軍事国家でもあり、オスマン帝国の支援を受けつつ、ロシアの侵略に抵抗しました。

1834年にイマーム国の指導者にアヴァール人のシャミールが就任。シャミールはそのカリスマ性と軍事力で1859年までロシアへの抵抗戦争を指揮しました。

 

ロシアも1800年代前半の植民地政策を反省し、獲得した占領地には寛大な政策を用いました。その効果もあってかイマーム国の求心力は徐々に低下。戦況も徐々に不利になり、ついに1859年にイマーム国は降伏してロシアへの忠誠を誓いました。この際、一部のアヴァール人がオスマン帝国に亡命しています。

アヴァール・ハン国はイマーム国の中でも、イマーム国の降伏後も、ロシア領として存続していましたが1864年に解体。カフカース戦争もこの年に終戦しました。

 

終戦後、ロシア人は1800年代前半の植民地政策の失敗を活かし、アヴァール人を比較的厚遇しました。軍人に対して高貴な階級や賞が授けられたり、アレクサンドル2世の親衛隊に組み込まれ宮殿の警備を担当させたりしました。イマーム国の指導者だったシャミールもその政治的・軍事的手腕を高く評価され、勇敢な指導者と讃えられました。

 

しかし、それでもロシアの支配に抵抗するアヴァール人は残っており、1880年までに何度か反乱を起こしています。

 

ソ連成立後は1921年にダゲスタン自治ソビエト社会主義共和国を構成する民族の1つとしてとして自治権を獲得。

1928年にはアヴァール語のラテン文字表記法が、1938年にはロシア文字表記法が完成。

独ソ戦ではアヴァール人の軍人や兵がソ連側で活躍しました。

よってチェチェン人のように戦後に強制移住…といったことにはなっていないようです。

 

ソ連崩壊後もダゲスタン共和国の1つの民族としてロシアにとどまり、現在に至ります。

 

アヴァール人小話

アヴァール人の民族の伝承や物語は、民謡によって多くが今に伝わっています。

「愛」「闘い」「悲哀」「勇敢さ」「歴史」「子守歌」など、様々なテーマの民謡があります。

「愛」と「子守歌」を除いたすべての民謡は男性が歌うルールがあったそうです。歌い手や踊り子の伴奏には多くの伝統楽器が使われるそうですね。

 

民謡の動画はあまりいいものが見つけられなかったため、コンサートで披露されたアヴァール人の伝統的な踊りの様子を収めた動画を共有します。


Ансамбль "Адат" - Аварский танец

 

 

以上、アヴァール人の紹介でした!

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