今回は西シベリアで伝統的生活を続ける人たちがいる、ハンティ人の歴史や伝統的な暮らしを紹介します!
ハンティ人(Ханты)
ハンティ人はロシア西シベリア、チュメニ州に暮らす少数民族。
ロシアでの総人口は30,943人。そのうち約62%の19,068人がチュメニ州内のハンティ・マンシ自治管区に、約31%の9489人がチュメニ州内のヤマロ・ネネツ自治管区に暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系のうちウゴル系の民族で、宗教は伝統宗教かロシア正教。
モンゴロイド(黄色人種)とコーカソイド(白人)が混血した人種です。
ハンティ人の歴史
ハンティ人の祖先は4000年前にオビ川流域に現れ、徐々に北上し、畜産や農業に従事していたと考えられています。
その後、ネネツ人やマンシ人などとの紛争を経てハンティ人の部族連合が形成されました。
10世紀にはすでにロシア人との接触があり、11世紀ごろにはルーシ諸国と交易も行われていたと考えられています。
13世紀にモンゴル帝国の支配下に入り、モンゴル帝国やその後継国家の分裂後はシビル・ハン国の支配下に入りました。
16世紀以降、ロシアは東方への進出を強め、1552年にはシビル・ハン国西隣のカザン・ハン国を征服。1598年までにシビル・ハン国全土を征服しました。
シビル・ハン国征服の過程でハンティ人はマンシ人などとともにロシアの支配下に入りました。
征服直後から多くのロシア人がハンティ人の暮らしていた地に入植を開始。17世紀のうちにロシア人の数がハンティ人より多くなります。
一方ハンティ人もロシアの支配下で増加。17世紀には約8,000人だったのが、18世紀には約16,000人、19世紀には約23,000人まで増加しました。
ハンティ人はロシア人の入植拡大で徐々に伝統的に暮らす場所を失っていきましたが、20世紀以降、さらに状況は悪化。
ソ連時代に入ると、ソ連政府はハンティ人の集団生活化や定住化を押し進め、伝統的な生活や宗教を破壊。ハンティ人たちは1933-34年にかけてソ連に対して反乱を起こしますが鎮圧されました。
戦後も、1960~80年代にかけて西シベリアで大規模な開発が行われた結果、ハンティ人の伝統的な暮らしはさらに追い込まれてしまいました。
1989年にようやくハンティ人の伝統的な暮らしを守るための公的団体が設立され、現在に至ります。
ハンティ人小話
少し古い2000年代の情報ですが、約30%のハンティ人は都市に住んでいましたが、それ以外は伝統的な遊牧生活を営んでいたそうです。おそらく現在も大幅には変わっていないでしょう。
伝統的住居はネネツ人と同じ「チュム」と呼ばれるテント状の住居。
ハンティ人の伝統的な暮らしは漁業、狩猟、牧畜です。
ただ、北部と南部で違いがあり、北部では犬やトナカイの牧畜、漁業が中心で、南部は牛の飼育や農業が盛んです。
狩りの際は「妊娠した動物は捕えない。」「若すぎる動物も捕えない。」「魚は成魚だけ捕まえる。」…などといった伝統宗教に基づくルールに沿って行われています。
そして、ネネツ人と同様、トナカイは移動手段としても使われているそうです。
・・・ということで、以上ハンティ人の紹介でした!
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