今回は、北極圏の少数民族「ネネツ人」の歴史や文化を紹介します!
ネネツ人(Ненцы)
ネネツ人はロシアの極北部に暮らす少数民族。
ロシアでの総人口は44,640人。そのうち31,621人がチュメニ州に(チュメニ州の中のヤマロ・ネネツ自治管区に29,772人)が暮らしています。他にはアルハンゲリスク州内のネネツ自治管区に7504人など、極北ロシアに多くが暮らしています。(2010年の統計より)
サモエード系の民族で、宗教は伝統宗教かロシア正教。
人種的にはモンゴロイド(黄色人種)に属しますが、西側のネネツ人ほどコーカソイド(白人)の形質もやや表れてくるそうです。
ネネツ人は主に大きく二つのグループに分けられます。
北極圏の極北部に暮らす「ツンドラネネツ」と、それより南の森林地帯に暮らす「森林ネネツ」の2つです。
ツンドラネネツの方が多数派で森林ネネツは2000人ほど。言葉の差もあるそうです。
ネネツ人の歴史
ネネツ人が歴史上の文献にはじめて登場するのは11世紀。ノヴゴロド出身の旅行者が残した記録がはじめてです。
12世紀の終わりごろにはヨーロッパ側に暮らしていたネネツ人は、ノヴゴロド共和国(のちのロシア)の支配下に入ります。
アジア側に暮らしていたネネツ人も、17世紀までにロシアの支配下に入りました。
ロシアの支配下に入った後、1662年~1663年にかけてネネツ人はロシアに対して大きな反乱を起こします。
反乱はもちろん鎮圧されましたが、その後ネネツ人の一部は東に移動を開始。結果としてネネツ人は、エネツ人やナガサン人といったほかのサモエード系民族と衝突するようになりました。
1850年になってようやくこれらの民族の居住地域の境が設けられました。
ソ連時代になってからは、ネネツ人の伝統的な暮らしが侵害され始めます。
1929年~1950年にかけてネネツ人のための定住化施設の建設や全寮制の学校が建設され、ネネツ人がそこに入れさせられるようになりました。
それでも多くのネネツ人が伝統的な暮らしを守り続けました。
しかし、戦後はネネツ人が暮らしていた地が採掘や開発のために徐々に奪われたり、開発によってトナカイの放牧に適さなくなったりしたために、移動したり伝統的な生活を諦めたりせざるを得なくなったりしました。
1980年代以降にようやく「ネネツ人の文化、生活、土地の権利を守ろう」という趣旨の運動が始まり、現在に至ります。
ネネツ人小話
ネネツ人には現在も伝統的な暮らしを守り続ける人々が多くいます。
ネネツ人の伝統的な暮らしでは、トナカイの放牧・狩猟・漁業が生業です。男性が主にこれらを行い、女性は家で服や小物をつくったり料理をしたりと、家の仕事をします。ヤマル半島で何千人ものネネツ人が約50万頭のトナカイとともに遊牧生活を送っているそうです。
ネネツ人の移動はトナカイが曳くソリ。女性用のソリは子どもと乗りやすいように前壁と側壁がありますが、男性用のものは背もたれしかついていません。
ネネツ人の家は「チュム」と呼ばれるテント状の家。
チュムの中心には囲炉裏が置かれ、その両脇に寝床が置かれています。
40本以上の木のポールから作られ、冬はトナカイの毛皮で覆われ、夏は白樺の木の皮で覆われるそうです。
ここまで文明が発達した現在も、昔ながらの暮らしを続ける人々が多数いる民族というのは、とても興味深いですね!
以上、ネネツ人の紹介でした!
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