今回はカフカースのテュルク系民族、バルカル人の歴史や文化を紹介します!
バルカル人(Балкарцы)
バルカル人はロシア連邦北カフカース、カバルダ・バルカル共和国の基幹民族の1つ。
ロシアでの総人口は112,924人。そのうち約96%の108,577人がカバルダ・バルカル共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
テュルク系の民族でイスラム教徒。
イスラム教は17世紀以降に徐々に広まっていきましたが、それ以前の伝統宗教の要素も、現在に残っています。
人種的にはモンゴロイド(黄色人種)とコーカソイド(白人)の混血ですが、コーカソイドの遺伝子の方がかなり強そうですね。
バルカル人の歴史
バルカル人は多くの民族が混血して成立したと考えられています。もともとカフカースに暮らしていた民族や、アラン人、ブルガール人、キプチャク人…などです。
バルカル人は13世紀までアラン人の王国の支配下でしたが、モンゴル帝国の侵攻後にアラン人の王国は崩壊。バルカル人は山地へ避難、定着しました。
17世紀からロシア人がバルカル人と接触するようになります。当初は貿易や貴族間での交流が行われ、友好的な関係でした。
その後、ロシアはカフカースへの干渉を強めます。1817年にはカフカース全土の征服を目的としたカフカース戦争を開始。
1827年にバルカル人の使節団は、ロシアの支配下に入ることをロシア側に伝達。ロシアの市民権を得ます。
その後、バルカル人は、ロシアの要塞に戦力を供給したり、露土戦争(1877-1878)や日露戦争、第1次世界大戦に参戦したりするなど、ロシアの多くの戦争に協力・参加しました。
バルカル人は山地での人口過剰の問題があったため、1860~70年代にかけてロシア政府は農地改革を行い、土地を持たないバルカル人を平野部へ移住させました。
1860年にはバルカル人のための学校が開校し、1900年代にはロシア人やそのほかの民族と一緒に教育を受ける学校が開校しました。
ソ連時代に入ると1922年に自治権を獲得。1936年にはカバルダ・バルカル自治共和国が成立します。
1941年に対ナチス・ドイツの大祖国戦争が開戦。
1942年にバルカル人の一部が山賊と化してナチス・ドイツと協力し、ソ連軍の行動を妨害したとされ、
1944年3月8日に中央アジアに強制移住させられました。
(スターリンが戦前にバルカル人を多く粛清していたことも強制移住の背景として挙げられています。)
1956年と1957年にバルカル人に着せられた罪が誤りだったと認められ、1957年3月28日以降、バルカル人は父祖の地へ戻り、自治共和国が復活しました。
その後、ソ連崩壊後もロシアにとどまり、現在に至ります。
バルカル人小話
かつてバルカル人の集落は、敵の攻撃を防ぐために山の斜面や渓谷、川沿いに多くありました。
家は主に石で作られていて、集落の周囲には塔が建てられ、敵の侵入を見張りました。戦闘時には塔の下層階は住居として使用することもできたそうです。
また、バルカル人は現在に至るまでに、儀式、労働、英雄などに関する多くの民謡を残しています。
その1つをYouTubeで見つけたのでご紹介しますね。
Алибек Атабиев - Балкарская народная песня Боз алаша.
以上、バルカル人の紹介でした!
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