実はロシアにも暮らす北欧の少数民族サーミ人をご紹介します!
サーミ人(Саамы)
サーミ人はノルウェーを中心とした北欧に暮らす少数民族。
ロシアでの総人口は1,771人で、そのうち約90%の1,599人がムルマンスク州に暮らしています。(2010年の統計より)
ノルウェーには2007年時点で37,760人、スウェーデンには2011年の時点で約2万人、フィンランドには2008年の時点で約5,800人が暮らしています。
フィン・ウゴル系の民族で、宗教はキリスト教ルター派、ロシア正教、伝統宗教。支配国の影響を受け、ルター派やロシア正教に改宗させられましたが、現在でも伝統宗教は一部に根付いているそうです。
サーミ人の歴史(主にロシアの視点から)
サーミ人は何世紀にもわたって民族のアイデンティティーを守り抜いてきた北方の少数民族です。
サーミ人の祖先とされる民族は約1万年前にフィンランドやスカンジナビア半島に到達。その後北極圏の先住民族や、他のフィン・ウゴル系の民族と混血し、紀元前1500~1000年代には、すでに民族として成立したと考えられています。
サーミ人は古くからその存在が認識され、古代ギリシャや古代ローマでもその存在が知られていました。当時は現代の居住域よりもさらに広い範囲に暮らしていたと考えられており、紀元前325年に古代ギリシャのピュテアスが「フィノイ(Finoi)」という名前でサーミ人について言及しています。
7世紀以降、ルーシ人(のちのロシア人)やフィンランド人、カレリア人、ノルウェー人などがサーミ人が暮らしていた領域に進出。これらの民族は税を課すなどしてサーミ人を圧迫します。これらから逃れるためにサーミ人は徐々に北方に移動を開始しました。
しかしサーミ人が逃れた北方の地にも諸国は進出。1251年、ノヴゴロド公国(のちモスクワ大公国→ロシア)、ノルウェー、スウェーデンの3国がサーミ人の徴税権に関する条約を締結します。この結果、もともと1つの民族だったサーミ人は、居住域によってバラバラの政治体制や宗教体制に組み込まれることになってしまいました。
ただ、この3国間の領土争いが絶えず国境も明確ではなかったため、2つ以上の国から税を取られるサーミ人もおり、サーミ人の地位は低下してしまいました。
17世紀ごろから、ノルウェー=デンマーク王国がサーミ人のロシアへの貢納を禁じるなど、北欧諸国がサーミ人に対する国境管理を厳密にし始めます。ただ、それでも一部のサーミ人たちはロシアへの貢納を続けていたようです。
18世紀半ばごろから、サーミ人の一部がトナカイ遊牧の伝統的な生活をやめ、定住を始めました。この頃から、スウェーデン、ノルウェー、ロシアのサーミ人に対する同化政策が強くなっていきます。伝統的な暮らしを続けるサーミ人は、各国で徐々に居場所を失っていきました。
そしてソ連時代が訪れると、サーミ人の伝統的な暮らしは決定的に破壊されていきました。サーミ人の土地はソ連政府に接収され、サーミ人は集団農場に組み込まれていきました。
ソ連時代前半にはサーミ人に対する弾圧が激しく、1930年~1947年の間に118人のサーミ人が処罰され、うち50人が処刑されたそうです。
第二次世界大戦後、ソ連領内のサーミ人の一部がソ連の支配を嫌ってフィンランドに移住。一方ソ連領内に残ったサーミ人はロシア化がさらに加速してしまいました。
1989年の調査では、ソ連領内のサーミ人でサーミ語を話せる割合は42.2%だったそうです。
ソ連崩壊後のロシアは1992年にサーミ人の文化や言語を保護するための国家間の枠組み「サーミ連合」に加盟しましたが、他のサーミ人が暮らす国に比べると、サーミ人に対する支援は手薄に感じられます。
サーミ人小話
サーミ人の伝統的な家はネネツ人などの他の北方の先住民族と同じチュム。テント状の住居で、トナカイの皮に覆われていました。
サーミ人は、グループによって異なる産業を生業としていました。
- 山岳サーミ人:大規模なトナカイの遊牧を生業とする
- 海岸サーミ人:海での漁業を主な生業とする。
- 森林サーミ人:小規模なトナカイの遊牧、漁業、農業を生業とする。
- 河川・湖サーミ人:川や湖での漁業を生業とする。
シベリアではなく、北欧にもこのような暮らしの歴史を持つ民族がいることは、少し驚きでした。
以上、サーミ人の紹介でした!
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