今日は西シベリアの少数民族、マンシ人をご紹介します!
マンシ人(Манси)
マンシ人はロシア西シベリア、チュメニ州のハンティ・マンシ自治管区を中心に暮らす民族。
ロシアでの総人口は12,269人。そのうち約89%の10,917人がハンティ・マンシ自治管区に暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系のうちウゴル系の民族で、宗教は伝統宗教かロシア正教。
モンゴロイド(黄色人種)とコーカソイド(白人)が混血した民族です。
マンシ人の歴史
マンシ人の祖先は、ウラル山脈とその西側の山腹に2000~3000年前には暮らし始めていたと考えられています。
11世紀ごろにははじめてノヴゴロド共和国のルーシ人(のちのロシア人)、コミ人との接触が確認されています。ルーシ人とコミ人によってマンシ人はもともと住んでいた場所を追われ、西シベリア南部~中央部に移住しました。
13世紀にモンゴル帝国の支配下に入り、モンゴル帝国分裂後はシビル・ハン国の支配下に入りました。
16世紀以降、ロシアは東方への進出を強め、1552年にはシビル・ハン国西隣のカザン・ハン国を征服。1598年までにシビル・ハン国全土を征服しました。
シビル・ハン国征服の過程でマンシ人はハンティ人などとともにロシアの支配下に入りました。
ロシア領に入った後、マンシ人が暮らしていた地は急速に植民地化されます。17世紀末にはすでにロシア人の数がマンシ人を上回りました。
マンシ人は次第により東へ、より北へ居住地を追われて行きました。
18世紀にはロシア正教に強制改宗。(ただ、改宗後も伝統宗教の信仰は多くは維持されたそうです。)この過程で一部がロシア人と同化しました。
ソ連時代に入ると、ソ連政府はマンシ人に対して近代化政策を行い、マンシ人の伝統文化や伝統的な暮らしはさらに弾圧されていきました。1989年にはマンシ人の45%がすでに都市部に暮らしていたそうです。
その後、ソ連崩壊を経て、ハンティ・マンシ自治管区の民族として現代に至ります。
マンシ人小話
マンシ人はハンティ人と同じ祖先をもつ民族であったと考えられており、親戚関係にあります。
マンシ人は現在は約80%が都市や町で現代的な暮らしをしており、昔ながらの生活をしているのは北部と東部の一部の人たちのみだそうです。
マンシ人の伝統的な住居は2タイプあります。
1つは定住用の丸太でできた住居。普段はこちらに住んでいたそうです。
ロシア人の入植により居住地を北方に追われた際、室内を暖かく保つための技術が発達したそうです。
そしてもう一つが、狩猟や釣りの時などに使う移動用の一時的な住居、Чум(チュム)です。これはハンティ人やネネツ人と同じ形の住居ですね。
そして長距離移動には、ハンティ人と同様にトナカイが使われていたそうです。
以上、マンシ人の紹介でした!
これまで紹介した民族はこちらから!