今日はダゲスタンに古代から暮らす絨毯で名を馳せる民族、タバサラン人を紹介します!
タバサラン人(Табасараны / Табасаранцы)
タバサラン人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の民族の基幹民族の1つ。
ロシアでの総人口は146,360人。そのうち約81%の118,848人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
カフカース系の民族でイスラム教徒です。
タバサラン人の歴史
タバサラン人は、古代からカフカースに暮らしていたと考えられる民族の一つです。紀元前2000年紀末に誕生したカフカス・アルバニア王国を構成する民族の1つだったと考えられています。カフカス・アルバニア王国は古代ギリシャやローマの資料にも登場する豊かな国でした。
その後カフカス・アルバニア王国は、長い年月の間に古代ローマ、パルティア(のちのペルシャ、イラン)やハザール、アラブ人やアラン人に侵略されます。結局8世紀にアラブ人の支配下で滅亡しました。
10世紀ごろ、アラブの支配下でタバサラン人が暮らしていた地にタバサラン王国(Табасаранское майсумство)が成立します。※майсумствоの訳が不明のため、この記事では「王国」としました。
その後、12世紀にタバサラン王国は24の地域に分裂します。
1239年~1240年にかけてモンゴル帝国がタバサラン王国の地に侵攻。タバサラン人は独立を失います。
モンゴル人の支配で、タバサラン人は「マイスム(Майсум)」という称号の指導者の下で勢力を蓄えていきます。
その後、タバサラン人はカイタグ王国(Кайтагское уцмийство)の配下に入っていましたが、14世紀末にカイタグ王国がティムール帝国の侵攻で打撃を受けた際に独立し、タバサラン王国を再興しました。※Уцмийствоの適切な訳語が見つからず、自身でも考えられなかったため、便宜上この記事ではでは「王国」と記載します。
16世紀初頭にタバサラン王国はペルシャ帝国(イラン)の支配下に入ります。その後はオスマン帝国(トルコ)とペルシャ帝国(イラン)、そしてのちにはロシア帝国との係争地となりますが、双方の影響下に入ったり、時には支配下に入ったりしながら、王国は存続しました。
1813年、タバサラン人はロシアの支配下に入ります。
タバサラン王国は1813年にロシア領に入り消滅しましたが、ロシア人の支配に反発し反乱を起こします。
タバサラン人は1817年からのカフカース戦争にも参戦。
1834年以降はイマーム国を建国したシャミールと連携し、ロシア軍を悩ませました。
1877年のオスマン帝国の扇動による反ロシア蜂起にも参加しました。
その後、反乱の気配は徐々に収まり、ソ連時代を経て、ソ連崩壊後はダゲスタン共和国の民族の1つとして現代に至ります。
タバサラン人小話
タバサラン人の世界的に有名な伝統的な工芸品に絨毯があります。絨毯の品質や芸術性は、かの有名なペルシャ絨毯に勝るとも劣らないと言われています。
1500年前には絨毯作りがこの地で始まっていたと考えられています。
絨毯はクルミの皮などの天然素材で染めた羊毛を使用しており、1つの絨毯の制作に1年かかるそうです。なお、タバサラン絨毯は300年ももつのだとか。一度見て見たいですね。
以上、タバサラン人の紹介でした!
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