カフカースの主要民族、イングーシ人の歴史や文化を紹介します!
イングーシ人(Ингуши)
イングーシ人はロシア連邦北カフカース、イングーシ共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は444,833人。そのうち約87%の385,537人がイングーシ共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
カフカース系の民族で、宗教はイスラム教。
イスラム教は13世紀ごろから流入し、17世紀~18世紀にかけて定着。ただ、山岳地帯では19世紀にようやく定着したそうです。
以前このブログでご紹介した、チェチェン人ととてもかかわりが深い民族です。
イングーシ人の歴史
イングーシ人は、古くから北カフカース地域のテレク川上中流域の山間部や渓谷、山麓に住んでいたと考えられています。
13世紀まで、イングーシ人はアラン人の王国の支配下に入っていましたが、アラン人の王国はモンゴル帝国の侵攻を受けて崩壊します。
この際にイングーシ人は山岳地帯へ逃げ込みました。
15世紀初頭にはイングーシ人は父祖の地に戻り、その領域を広げました。
しかし16世紀後半、カバルド人(チェルケス人の一派)の攻撃を受け、再び山岳地帯に逃げます。逃げた先でイングーシ人はいくつかの部族連合を構成しました。
17世紀初頭に再びイングーシ人は父祖の地に戻り、その領域を再び広げました。
しかし16世紀後半ごろには北カフカースにロシアが姿を現し始め、徐々に侵攻が始まっていました。
1770年、イングーシ人の24人の長老が参加した会議で、イングーシ人のロシア帝国併合が決定。ロシアの支配下に入ります。
ここまでチェチェン人とイングーシ人の民族的な差はわずかしかなく、歴史家によっては、テレク川流域の北東カフカースの民族の内、ロシア領に入った民族をイングーシ人とし、ロシアに抵抗を続けた民族をチェチェン人としてロシアが区別した…と考える人もいます。
1784年にロシアは、ウラジカフカース新要塞をイングーシ人が暮らす地域のすぐ近くに建造。カフカース征服の前線基地とします。
1840年代以降はそれまでイングーシ人が暮らしていた村々にロシア人が本格的な入植を開始。イングーシ人は追い出され、他のイングーシ人の村に逃げ、オスマン帝国に逃げるものも現れました。
その後1917年から始まるロシア革命とその内戦の後、1924年に自治権を獲得しイングーシ自治州が発足。
1934年に隣のチェチェン自治州と合併し、1936年にはチェチェン・イングーシ自治共和国が成立しました。
1941年 大祖国戦争開戦。イングーシ人はほかのソ連の民族同様、祖国のために命をささげて戦いました。
1942年にはナチス・ドイツ軍の一部がカフカースに到達。ここで一部がナチス・ドイツに協力したとされています。
このことも口実となり、1944年2月23日にチェチェン人、イングーシ人全員が「ドイツに協力した罪」で中央アジアに強制移住となりました。イングーシ人のほとんどはナチス・ドイツに協力はしていなかったのですが…。
この強制移住の移動の際に、劣悪な移動環境のせいで大勢が命を落としたと言われています。
戦後1957年に対ドイツ協力の疑いがようやく晴れ、イングーシ人とチェチェン人は父祖の地へ帰還。チェチェン・イングーシ自治共和国も再建されました。
ただ、イングーシ人とチェチェン人がいない間にロシア人とオセット人が入植。特にオセット人の暮らす北オセチアとは土地の問題を抱えることになりました。
1991年11月のソ連崩壊時、チェチェン人とイングーシ人はチェチェン・イケリチア共和国としてソ連からの離脱・独立を宣言。ロシア軍が解決のために共和国へ向かいますが撤退。
1991年12月、もともとロシアから独立する意思がなかったイングーシ人は、イングーシ共和国を形成し再びロシアの一部となりました。
1992年には土地をめぐるイングーシ人とオセット人の武力衝突が発生。双方合わせて583人が死亡する事態となりました。
その後2000年代までテロなどのゴタゴタがありましたが、落ち着きを取り戻し、現在に至ります。
イングーシ人小話
イングーシ共和国には写真のような塔が数多く残っています。
この塔は13世紀~19世紀にかけて建造されたものです。戦闘用の塔は16メートルくらいまで、住居兼戦闘用の塔は10メートルくらいまでの高さがあります。
住居兼戦闘用の塔は1階は住居で、2階以上に戦闘施設が置かれました。
塔は山間部の石から建造されており、現在まで残る塔も多いことから、その建築技術はかなり高いものだと考えられます。
また、壁には様々な絵や模様が描かれており、イスラム教が伝わる以前の伝統宗教の神も多く描かれているそうです。
以上、イングーシ人の紹介でした!
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