ロシアの侵略に最後まで頑強に抵抗したアディゲ人、別名チェルケス人を紹介します!
アディゲ人・チェルケス人(Адыги / Черкесы)
※以下、当記事内での呼称はアディゲ人に統一します。
アディゲ人はロシア南部カフカースの民族。宗教はイスラム教が中心。
ロシアでの総人口は718,727人。そのうちカバルダ・バルカル共和国に493,467人、アディゲ共和国に110,229人、カラチャイ・チェルケス共和国に57,427人、クラスノダール地方に24,061人が暮らしています。(2010年の統計より)
カバルダ・バルカル共和国では「カバルド人」、
アディゲ共和国では「アディゲ人」、
カラチャイ・チェルケス共和国では「チェルケス人」、
という名前で基幹民族になっていますが、すべて同じ民族です。
なおクラスノダール地方に暮らすアディゲ人たちは「シャプスグ人」と呼ばれています。
ソ連時代に行政区画を4つに分けた際に、住んでいた場所で名称が強制的に変わってしまったそうです。
日本語では「チェルケス人」の名称が一般的で、ロシア語では上記の民族全体を指して「アディゲ人」「チェルケス人」と呼ぶことが多いそうです。
なお、アディゲ人が世界で1番多く住んでいる国はトルコ。15,110,00人のアディゲ人が暮らしているとされています。実はこれにはアディゲ人の歴史が大きく関わっています。
以下、歴史の紹介です。
アディゲ人・チェルケス人の歴史
アディゲ人の歴史はとても古く、紀元前400年ごろにはすでにアディゲ王国が建国されていたという記録があります。
3~5世紀にかけてキリスト教を受容。
5世紀~6世紀ごろにアディゲ人たちは統一され、「ジーヒヤ(Зихия)」という国を建国。
14世紀にはアディゲ人の国はカフカースで最大の国となります。また彼らの兵士としての評判は遠くエジプトまで及び、エジプトに行ってスルタン(国王)になった者まで現れました。このころから徐々にイスラム教がアディゲ人に受け入れられ浸透していきます。
16世紀以降はクリミア・ハン国などが攻撃を仕掛けてきますが、見事に撃退。独立を維持。
1817年、ロシア帝国がカフカ―スを侵略するためのカフカース戦争を起こします。
アディゲ人は何度もロシア帝国軍を撃退しますが徐々に勢力を失い、多くの人々がオスマン帝国(トルコ)に亡命を開始。
ロシアの占領下に入ったアディゲの人々は、黒海沿岸に強制移住させられ、生活に適応できず多くの人々が亡くなったそうです。
結局1864年にアディゲ軍は正式にロシアに降伏。この際も多くの人々がオスマン帝国に亡命しました。これが現在も多くのアディゲ人がトルコに暮らしている理由です。
故郷の地に残ったアディゲ人たちは1922年以降に自治を獲得。一部の人々は追放先から戻り、現在に至ります。
アディゲ人・チェルケス人小話
中世~近世のアディゲ人の貴族は「勇敢さ」「武芸のうまさ」「気前の良さ」を美徳とし、「臆病さ」を卑劣な悪徳とみなしていました。
貴族の子どもたちは、性格と体を鍛えるための過酷な学校に通っていたそうです。
これらがアディゲ人が大国ロシア帝国と何年も互角に戦えた理由かもしれませんね。
ロシアの侵略に最後まで徹底的に抵抗した民族が、現在ロシアの国民であるというのは、少し複雑な気分になりますね…。
今日の民族紹介はここまでです!
次の民族もお楽しみに!
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