今回はカフカースのダゲスタン共和国で大きな人口を誇るクムク人の歴史や文化を紹介します!
クムク人(クムイク人)(Кумыки)
クムク人はロシア連邦の北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の1つ。
日本語では「クムイク人」や「クムィク人」とも表記されます。
ロシアでの総人口は503,060人。そのうち約86%の431,736人がダゲスタン共和国に暮らしています。周辺のカフカースの共和国にも北オセチア共和国16,092人など多くが暮らし、西シベリアのハンティ・マンシ自治管区にも13,849人が暮らしています。(2010年の統計より)
テュルク系の民族でイスラム教徒。
カフカースの民族の中でイスラム教の受容は早い方で、8世紀~12世紀には民族がイスラム教化したと考えられています。
クムク人(クムイク人)の歴史
クムク人の民族の成立にはいくつかの説があり、はっきりしていないそうです。
- 12~13世紀にキプチャク人とともにカフカースに流入した。
- 7~10世紀にかけて黒海沿岸~カフカースにかけて栄えたハザール人が、現地の民族を同化して誕生した。
- クムク人の祖先は歴史的にカフカースの高地に暮らしており、テュルク系民族の西進の影響を受け、徐々にテュルク化してクムク人となった。
- 古代よりカフカースに自生する民族である。
以上の説があります。
これらの説を総合して、17世紀までにはカフカース系の民族とテュルク系の民族が混血して誕生したのではないかと考えられているそうです。
クムク人が暮らしている地は以下のような歴史をたどります。
10世紀~13世紀はクムク人の祖先が建国したと考えられているジダン王国、
13世紀~14世紀ごろまではモンゴル帝国とその後継国家、
14世紀にクムク人がタルコフ王国(Шамхальство Тарковское※)を建国し、1867年まで存続。
※Шамхальствоの適切な訳語が見つからず、自身でも考えられなかったため、便宜上この記事ではでは「王国」と記載します。
16世紀ごろより、クムク人のタルコフ王国の地はオスマン帝国(トルコ)、ペルシャ帝国(イラン)の、そして後にはロシアも加わりその係争地となります。
時にオスマン帝国の、時にペルシャ帝国の支配下や影響下に入りながらも国としては存続します。
1722年~1723年にかけてはロシア帝国軍と戦い敗北しますが、その強さは当時のロシア皇帝ピョートル1世に大きな衝撃を与えたと言われています。
1817年、ロシアはカフカースの完全平定を目論み、カフカース戦争を起こします。
クムク人はカフカース戦争では民族で団結してロシアに抵抗。
ただ、ロシアの他にもカフカースの別の民族と敵対して攻撃を受けた時期もあり、苦しい時代を送りました。
1867年8月1日、タルコフ王国は正式にロシアに併合され、クムク人はロシアの支配下に入ります。それでも反乱や抵抗は1878年まで続きました。
ロシア革命の混乱時、クムク人は「山岳共和国」を建国し独立しようとしますが、結局1921年にソ連に吸収されます。
1944年、チェチェン人が中央アジアに強制移住させられます。その際、クムク人がチェチェン人がもともと暮らしていた地に同意なしに移住させられました。このことを政府は公式には現在も認めていませんが、クムク人は強制移住だと考えています。
その後、クムク人はもともと暮らしていた地に戻ったようです。
ソ連崩壊直前の1989年、クムク人はソ連の中にクムク人独自の「クムク共和国」を作ろうと運動をしますが、ソ連崩壊などの政変が重なり実現せず、ロシア連邦ダゲスタン共和国の基幹民族の1つとして現在に至ります。
クムク人(クムイク人)小話
クムク人は歴史的に農業に従事しており、北カフカースの民族では珍しく、灌漑式の農業を行ってきました。小麦やキビ、米やトウモロコシなどをつくり、放牧に適した牧草地も多いことから水牛や羊、馬の飼育もおこなっていました。
また、クムク人は文学で有名です。ウンム・クマルという15世紀の詩人が最初の著名な文化人とされています。
19世紀にはサンクトペテルブルクでクムク語で書かれた民族文学集が発売。
20世紀前半に文学は最盛期を迎え、才能ある作家や詩人が多く現れ、クミク語の新聞や雑誌も販売されるようになりました。
また、クムク人の踊りも有名なそうなので、最後にYouTubeからみつけた動画を貼っておきますね。
Ан Молодость Кавказа Кумыкский танец Газахова
以上、クムク人の紹介でした!
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