カフカースのカラチャイ・チェルケス共和国の少数民族、アバザ人を紹介します!
アバザ人(アバジン人)(Абазины)
アバザ人はロシア連邦北カフカースの少数民族。
ロシアでの総人口は43,341人。そのうち約85%の36,919人がカラチャイ・チェルケス共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
他にトルコに15,000~50,000人が、エジプトにも 15,000~50,000人のアバザ人がいるとされています。
カフカース系の民族でイスラム教徒です。なお、17世紀まではキリスト教徒だったと考えられています。
日本語ではアバジン人とも表記されます。
アバザ人(アバジン人)の歴史
アバザ人の歴史は古く、2世紀にはアバザ人の国家、アバザ王国の存在が現在のアブハジア北部に確認できます。
その後、7世紀までにアバザ人と隣のアブハジア人は「アバザ帝国」の下で一つの国の国民として統一されます。
975年にはより南側で強大だったグルジアの支配下に入ります。
13世紀~15世紀にかけてアバザ人は農業や牧畜に適した土地を求めて移住を行いました。このころから北カフカースに住み始めます。
1552年、クリミア・ハン国との戦争に手を焼いていたロシアは、アバザ人と同盟を結びます。
17世紀にカバルド人(アディゲ人・チェルケス人の一派)の支配下に入った後、18世紀までにアバザ人の地はオスマン帝国(トルコ)の支配下に入ります。ただ、オスマン帝国が送った地方長官の支配はだんだん及ばなくなり、ほとんど独立国のような状態だったそうです。
そのため18~19世紀は、アバザ人の暮らす地はオスマン帝国とロシアの係争地となりました。
19世紀、ロシアはカフカースへの侵略を強めます。アバザ人は1817年から勃発したカフカース戦争でアディゲ人とともに勇敢に戦いました。
しかし敗色が濃厚になり、オスマン帝国への亡命者も徐々に増えていきます。
1862年にはロシア政府からクバン地方への強制移住の命令が出され、従わない者は国外追放となり、多くがオスマン帝国に亡命しました。オスマン帝国に亡命したアバザ人の数は3万~4万5千人、もしくはそれ以上と考えられています。
ロシアの支配下の下で伝統的な社会構造は破壊され、ロシア人の入植も進んでいきました。
その後はロシア革命によるソ連の支配下に入ります。
ソ連時代の1957年、行政区画変更によりアバザ人はカラチャイ・チェルケス自治州に組み込まれ、はじめて民族として1つの行政単位に入ることができました。
その後、ソ連崩壊後はロシア連邦カラチャイ・チェルケス共和国の民族の1つとして現在に至ります。
アバザ人(アバジン人)小話
現在はおそらく廃れていると思いますが、アバザ人は結婚について、かつてはこんなルールがあったそうです。
- 妻は結婚後1年間は、自らの実家の家族・親戚の男と会わないこと。
- 妻は結婚当初は、義父母と話す権利、義父母と二人きりになる権利、義父母に目を上げる権利、ともに食事をする権利、義父母の前に座る権利がない。義母との場合、この規則は1週間~数か月で消滅するが、義父の場合、何年間ももしくは一生続くことがあった。
- 配偶者はお互いを名前で呼んではならない。代名詞を代わりに使用した。他人の前で妻のことを口にするのは男として恥ずかしいことだった。状況に応じて「妻」「子供の母」「あの人の娘」という言葉を使っていた。
- 昼間は夫婦で同じ部屋で2人きりになってはいけない。
- 夫は公の場で子供への感情を示すこと、名前で子供を呼ぶことは禁止。
ちょっと、個人的にはこのような大変なルールの下で結婚生活は送りたくないですね…
それでは、以上、アバザ人の紹介でした!
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