今回はダゲスタンの少数民族、ツァフル人を紹介します!
日本語版Wikipediaには2020年11月19日現在載っていません!
ツァフル人(Цахуры)
ツァフル人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の一つである少数民族。
ロシアでの総人口は12,769人。そのうち約77%の9,771人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)また、旧ソ連のアゼルバイジャンにも約12,300人が暮らしています。(2009年のデータ)
カフカース系の民族でイスラム教徒です。(かつてはキリスト教徒でした。)
ツァフル人の歴史
ツァフル人もダゲスタンの地に古代から暮らしていた民族だと考えられています。
ツァフル人の祖先は、紀元前2千年期末に当地に誕生したカフカス・アルバニア王国(現代のアルバニアとは無関係)に暮らしていた民族の1つだったと考えられています。カフカス・アルバニア王国は古代ギリシャやローマの資料にも登場する豊かな国でした。
このカフカス・アルバニア王国は、3世紀以降にキリスト教国となりますが、そのころに建てられた教会なども、現在ツァフル人が暮らす地域(アゼルバイジャン側)に残っているそうです。
その後カフカス・アルバニア王国は、長い年月の間に古代ローマ、パルティア(のちのペルシャ、イラン)やハザール、アラブ人やアラン人に侵略されます。結局8世紀にアラブ人の支配下で滅亡しました。
10世紀以降にイスラム教が広く普及し、11~13世紀にはマドラサ(イスラム世界の高等教育機関・学校)でアラビア語の授業や、アラビア語の経典のツァフル語訳が行われていたそうです。
12世紀にツァフル人の国であるツァフル・ハン国が成立。13世紀のモンゴル帝国の侵攻にも耐え、独立を保っていたようです。
14世紀にツァフル・ハン国は弱体化し、カジクムフ王国の属国になります。
15世紀にはツァフール人は勢力を回復し、領土を広げます。
1562年にペルシャ帝国の影響を受け、ツァフル・ハン国に代わってツァフル・スルタン国が成立しました。
その後はダゲスタンの地はオスマン帝国(トルコ)やペルシャ帝国(イラン)の係争地となりますが、ツァフル人は影響を受けつつも、民族としての独立は保っていたようです。
17世紀以降、ツァフル・スルタン国はダゲスタンよりさらに南部に拡大をはじめ、18世紀には現在のアゼルバイジャンのイリスに首都を移転しました。
カフカースの全土侵略を目論むロシアは1803年以降、徐々にツァフル・スルタン国の領土を蝕み、属国化します。
結局1844年にはツァフル・スルタン国はロシアによって廃止されてしまいました。
1852年、ツァフル人たちが、アヴァール人やチェチェン人たちが組織した反露軍事国家イマーム国に参加して抵抗するのを恐れたロシアは、ツァフル人たちの強制移住を実行しました。1861年にようやくツァフル人は父祖の地に帰還できたそうです。
その後はロシアの支配下で紆余曲折がありながらも、ソ連時代を経て、現在に至ります。
ツァフル人小話
ツァフル人は古来から牛やヒツジなどの牧畜業を生業としていました。現在でもダゲスタンのツァフル人が暮らす村では大きな牧場があり、畜産業に従事しているツァフル人が多いそうです。
一方、アゼルバイジャン側に暮らすツァフル人では農業が中心。小麦やトウモロコシ、ナッツなどを生産しているそうです。
ツァフル人の音楽はリズムの速い気分を高揚させるような曲が多く、悲しい曲が少ないんだとか。以下にYouTubeで見つけたものをシェアしますが、独特ですね。
Цахурский танец ...фольклорный ансамбль "Лиляй"
以上、ツァフル人の紹介でした!
これまで紹介した民族はこちらから!