むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤートに関する情報、駆け出しの日本語教師として感じたことを発信します。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで働いていた日本人大学院生のブログです。

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【ロシアの民族㊱】ルトゥル人

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Wikipedia日本語版にはちょっことしか書いていないダゲスタンの少数民族、ルトゥル人について紹介します!

 

ルトゥル人(Рутульцы)

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ルトゥル人はロシア連邦北カフカース、ダゲスタン共和国の基幹民族の1つの少数民族。

ロシアでの総人口は35,240人、そのうち約79%の27,849人がダゲスタン共和国に暮らしています。(2010年の統計より)また、アゼルバイジャンにも17,000人~20,000人が暮らしていると考えられています。

 

カフカース系の民族でイスラム教徒です。

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赤がダゲスタン共和国。カスピ海に面しています。

Stasyan117 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39697401による

ルトゥル人の歴史

ルトゥル人も、古代からダゲスタンに暮らしていた民族の1つです。

ルトゥル人の祖先は、紀元前2千年期末に当地に誕生したカフカス・アルバニア王国(現代のアルバニアとは無関係)に暮らしていた民族の1つだったと考えられています。カフカス・アルバニア王国は古代ギリシャやローマの資料にも登場する豊かな国でした。

 

その後カフカス・アルバニア王国は、長い年月の間に古代ローマ、パルティア(のちのペルシャ、イラン)やハザール、アラブ人やアラン人に侵略されます。結局8世紀にアラブ人の支配下で滅亡しました。

ルトゥル人の祖先はその後アラブ人の支配から自立していったと考えられています。

 

13世紀、各地を征服したモンゴル帝国が襲来しますが、これを見事撃退。ルトゥル人は部族連合国家を形成します。

その後もルトゥル人は独立を保ちますが、周辺民族とは絶え間なく戦争を続けました。

16~18世紀にルトゥル人の国周辺はオスマン帝国(トルコ)、ペルシャ帝国(イラン)、後にはさらにロシア帝国の係争地となりますが、ルトゥル人は独立を保ちました。

 

1812年以降、ロシア帝国はカフカースへの干渉を強め、ルトゥル人もその影響を受けます。1817年にはロシアがカフカースの完全平定を目指したカフカース戦争が開戦。ルトゥル人は抗戦します。

1838年、ロシア軍とルトゥル軍が大きく衝突。この戦いでルトゥル軍が敗北したことにより、ルトゥル人に対するロシアの支配が確立されました。

 

その後、ソ連時代を経て、ソ連崩壊後はロシア連邦ダゲスタン共和国の一民族として現在に至ります。

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ルトゥル人小話

ルトゥル人は古来より牛や羊、ヤギ、ロバなどの家畜とともに暮らしていました。特にロシアの支配下に入ってからはより進んだ技術も入り、19世紀の終わりから20世紀の初めにかけての間で、馬は2倍、羊は3倍、牛は6倍に増えたと言われています。

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現在も畜産業は盛ん。

また、ルトゥル人のダンスや歌も綺麗なことで有名なんだとか。下にYouTubeで見つけた動画を貼っておきますね。


2016/06/03 – «Конфетти» – Рутульский танец

 

以上、ルトゥル人の紹介でした!

これまで紹介した民族はこちらから!

www.hiroki-ru.work