今回はロシア極東北部に暮らす少数民族、チュクチ人を紹介します!
チュクチ人(チュクチ族)(Чукчи)
チュクチ人(チュクチ族)はロシア東北部、アラスカの対岸のチュクチ自治管区の基幹民族。
ロシアでの総人口は15,908人。そのうち約80%の12,772人がチュクチ自治管区に暮らしています。(2010年の統計より)
チュクチ・カムチャッカ系の民族で、宗教は伝統宗教が中心。20世紀以降に布教が進められたロシア正教を信じている人もいます。
チュクチ人(チュクチ族)の歴史
チュクチ人は古くからチュクチ自治管区のあるチュコトカ半島(チュクチ半島)に暮らしていた民族だと考えられています。
エスキモー(イヌイット)やコリャーク人と時に争い、時に影響を受けながら、民族としての暮らしを確立していきました。
17世紀以前まではトナカイの狩猟や漁業を主要な生業としていましたが、17世紀~18世紀にかけてトナカイの牧畜が主な生業に移行しました。
ロシア人とチュクチ人がはじめて公式に接触したのは1644年。
この後100年以上にわたり、西からやってきたロシア人とチュクチ人の断続的な戦争が続きました。
チュクチ人は強く、ロシア軍を何度も撃退。入植してきたロシア人にも襲い掛かりました。1771年以降、ロシアは正面から攻め込む作戦を変更し、チュクチ人との交易をはじめました。この過程で再びロシア人入植者がチュクチの地に増えていき、形式的にロシアのチュクチ人に対する支配が固まっていきます。
1775年以降は、チュクチ人が暮らす地に再びロシアの要塞が作られるようになりましたが、ロシア人はチュクチ人の暮らしにはあまり強くは関知せず、チュクチ人たちは伝統的な暮らしを続けていたようです。
ソ連時代になると、ソ連政府はチュクチ人が暮らしている地に学校や病院、公衆浴場などの近代的施設を建設します。
チュクチ人の暮らしも、大半の人々は伝統的なトナカイの遊牧から近代的なロシア風の暮らしへ変わっていきました。(トナカイの牧畜は多くが近代的な形で行われ続けました。)
そしてソ連崩壊を経て現代に至ります。
チュクチ人(チュクチ族)小話
チュクチ人がかつて住んでいたのは「ヤランガ」と呼ばれるテント型の住居。不規則な形をした多角形の大きなテント型の住居です。
これまでに紹介したエヴェンキ人やネネツ人の住居と少し似ていますが、チュクチ人のヤランガは天井部分がよりふっくらして、ややドームのような形になっているのが特徴ですね。中には囲炉裏があり、冬には外側に毛皮をかぶせたため、冬でもかなり暖かかったそうです。
ソ連時代以降にほとんどの人が近代的な暮らしや産業に移行してしまったため、現在このような家で暮らしている人はほとんどいないそうです。
最後にチュクチ人の踊りをシェアしますね。
以上、チュクチ人の紹介でした!
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