むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤートに関する情報、駆け出しの日本語教師として感じたことを発信します。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで働いていた日本人大学院生のブログです。

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【ロシアの民族53】ウリチ人

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江戸時代、日本の松前藩が交易した「山丹人(さんたんじん)」と推定される民族、ウリチ人を紹介します!

 

ウリチ人(Ульчи)

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ウリチ人はロシア極東、中国国境のアムール川(黒龍江)流域に暮らす少数民族。ウリチ人が暮らす地域に隣接して、ニヴフ人ナナイ人も暮らしているそうです。

ウリチ人のロシアでの総人口は2,913人で、そのうち約93%の2,718人がハバロフスク地方に暮らしています。

 

ツングース系の民族で、宗教は伝統宗教が中心。(一部ロシア正教)

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赤がハバロフスク地方。アムール川をはさんで中国と国境を接している。

Автор: Stasyan117 - собственная работа, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39710997

ウリチ人の歴史

ウリチ人がロシア史上に初めて登場するのは17世紀。ロシアが東方への探検・進出を進めていた時期のことです。そのころには既に民族として成立し、アムール川の下流域に暮らしていたようです。

ロシア人がはじめてウリチ人と接触した17世紀当時は、ウリチ人は清国(中国)の支配下に入っていました。

 

1680年代にはウリチ人と推定される民族が蝦夷地(現在の北海道)に寄港し、アイヌ人を介して日本の松前藩と交易を行っていました。この交易は「山丹交易」と後に名付けられ、1868年の江戸幕府滅亡まで続いたとされています。日本から「山丹人」と呼ばれたウリチ人と推定される民族は、清国の物産を日本に持ち込み、日本側は鉄製品や米、酒を輸出していたそうです。

 

1858年のアイグン条約と1860年の北京条約によって、ウリチ人が暮らしていたアムール川流域は正式にロシア帝国領に入りました。

ウリチ人はロシアの支配下に入った後も、一部税が免除されたり、長老による自治システムが認められたりするなど、他のアムール川周辺の民族とはやや違った扱いを受けていたそうです。

 

1897年の時点でウリチ人は、39の集落と1,455人の人口が統計として記録されています。その後、1926年の時点で723人まで減少するものの、再び人口を増加させ現在に至ります。

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1854年~1860年に描かれた、ウリチ人の家屋での生活を描いた絵。

ウリチ人小話

ウリチ人の伝統的な生業は漁業と狩猟でした。漁業は1年を通じて行われ、地引網や槍を使ってサケやチョウザメなどを獲っていました。狩猟は、海上ではアザラシやアシカなどを狩り、陸上ではトナカイや鹿、熊などの他、毛皮のある動物を狩っていました。

海上では木造ボートを、陸上では犬ぞりを主な交通手段として使っていたそうです。

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1920年に撮影されたウリチ人

Frantishak - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18586138による

ただ、近年は伝統的な生活は廃れ、多くがロシア式の生活を送っているそうです。2010年の統計では、ウリチ語を話す人口はたったの154人しかいないのだとか…(2002年の調査では732人。)ウリチ人の文化と言語の保全が早急に求められますね。

 

 

以上、ウリチ人の紹介でした!

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