江戸時代、日本の松前藩が交易した「山丹人(さんたんじん)」と推定される民族、ウリチ人を紹介します!
ウリチ人(Ульчи)
ウリチ人はロシア極東、中国国境のアムール川(黒龍江)流域に暮らす少数民族。ウリチ人が暮らす地域に隣接して、ニヴフ人やナナイ人も暮らしているそうです。
ウリチ人のロシアでの総人口は2,913人で、そのうち約93%の2,718人がハバロフスク地方に暮らしています。
ツングース系の民族で、宗教は伝統宗教が中心。(一部ロシア正教)
ウリチ人の歴史
ウリチ人がロシア史上に初めて登場するのは17世紀。ロシアが東方への探検・進出を進めていた時期のことです。そのころには既に民族として成立し、アムール川の下流域に暮らしていたようです。
ロシア人がはじめてウリチ人と接触した17世紀当時は、ウリチ人は清国(中国)の支配下に入っていました。
1680年代にはウリチ人と推定される民族が蝦夷地(現在の北海道)に寄港し、アイヌ人を介して日本の松前藩と交易を行っていました。この交易は「山丹交易」と後に名付けられ、1868年の江戸幕府滅亡まで続いたとされています。日本から「山丹人」と呼ばれたウリチ人と推定される民族は、清国の物産を日本に持ち込み、日本側は鉄製品や米、酒を輸出していたそうです。
1858年のアイグン条約と1860年の北京条約によって、ウリチ人が暮らしていたアムール川流域は正式にロシア帝国領に入りました。
ウリチ人はロシアの支配下に入った後も、一部税が免除されたり、長老による自治システムが認められたりするなど、他のアムール川周辺の民族とはやや違った扱いを受けていたそうです。
1897年の時点でウリチ人は、39の集落と1,455人の人口が統計として記録されています。その後、1926年の時点で723人まで減少するものの、再び人口を増加させ現在に至ります。
ウリチ人小話
ウリチ人の伝統的な生業は漁業と狩猟でした。漁業は1年を通じて行われ、地引網や槍を使ってサケやチョウザメなどを獲っていました。狩猟は、海上ではアザラシやアシカなどを狩り、陸上ではトナカイや鹿、熊などの他、毛皮のある動物を狩っていました。
海上では木造ボートを、陸上では犬ぞりを主な交通手段として使っていたそうです。
ただ、近年は伝統的な生活は廃れ、多くがロシア式の生活を送っているそうです。2010年の統計では、ウリチ語を話す人口はたったの154人しかいないのだとか…(2002年の調査では732人。)ウリチ人の文化と言語の保全が早急に求められますね。
以上、ウリチ人の紹介でした!
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