”世界で一番寒い地域に暮らす”民族、サハ人(ヤクート人)の歴史や文化などを紹介します!
サハ人(ヤクート人)(Якуты)
サハ人(ヤクート人)は東シベリアのサハ共和国(ヤクート共和国)の基幹民族。
ロシアでの総人口は478,085人。そのうち約98%の466,492人がサハ共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
日本では「サハ人」の名称でよく知られていますが、「サハ(Саха)」はサハ語での名称です。ロシア語ではЯкуты(ヤクートゥィ・単数形はヤクート)と呼ばれます。
※以下、当記事では特に言及がない場合は「サハ人」に呼称を統一します。
サハ人のほとんどが暮らすサハ共和国は、310万㎢世界最大の地方自治体です。
その面積は世界第7位のインド(約329万㎢)よりやや小さく、世界第8位のアルゼンチン(約278万㎢)より大きいというとんでもなく巨大な共和国です。
ただ、人口はサハ人以外の民族を合わせても971,996人(2020年の統計より・千葉市と同じくらい)しかおらず、人口密度は0.32人/㎢!同じくらいの面積のインドとは真逆の環境です。
また、サハ共和国には、極地を除く人類が暮らす場所での最低気温-71.2度を1926年に記録したオイミャコン村があることでも知られています。
サハ人はテュルク系の民族で、宗教はロシア正教が中心です。
サハ人(ヤクート人)の歴史
サハ人の祖先は12~14世紀まではバイカル湖周辺に暮らしていました。その後12~14世紀にかけてサハ人の祖先は東北方面に移動を開始。レナ川付近の盆地に移住し、もともと住んでいた民族と混血したり、時には追放したりして定着していきました。
14世紀~15世紀にかけて、民族としてのサハ人が形作られたとされています。
サハ人はゲルに居住し牧畜を営み、夏と冬に暮らす地域を移動していたそうです。
その後1623年にサハ人の暮らす地にロシアのコサックが到達。
1632年に現在のサハ共和国の首都であるヤクーツクにロシア人は要塞を作り、サハ人が暮らす地への進出を本格化。1638年にサハ人は正式にロシアの支配下に入ります。
1634年~1642年にかけてサハ人はロシアに対して何度か反乱を起こしますが、旧式の武器、兵法しかないサハ軍は、ロシア軍に毎回抑え込まれました。
18世紀にはサハ人に対するキリスト教化政策が行われ、19世紀半ばにはサハ語の正書法が完成。19世紀末にはロシア式の教育を受けたサハ人の知識人が現れるなど、徐々にロシア化が進みます。
1927~28年以降、サハ人の伝統的な生活はソ連によって弾圧され、ロシア化がさらに進むこととなります。
ソ連崩壊に伴い、サハ共和国内でも独立の動きがありましたが、すでに共和国内でのロシア人の人口も多かったことなどから断念し、ロシア連邦内の共和国の基幹民族としてサハ人たちは再出発しました。
サハ人(ヤクート人)小話
現代にも伝わるサハ人の一大イベントとして、「イスィアフ(Ысыах)」と呼ばれる夏至祭があります。
夏の到来と自然の目覚めを祝うお祭りで、古来は夏至の日に行われていました。近年は大勢の人が参加できるように夏至の日の後の週末に2日間にかけて行われるそうです。
ヤクーツク郊外で行われる祭りには、数万人もの人が毎年やってくるそうです。
お祭りでは乗馬、伝統相撲、踊りなど100を超えるプログラムが行われ、太陽を祭ります。
サハ人の間で口頭伝承で伝わった民族叙事詩オロンホによると、約1500年前からすでに行われていたとされています。
一度、行ってみたいですね!
以上、サハ人(ヤクート人)の紹介でした。
次の民族もお楽しみに!
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