ロシア連邦モルドヴィア共和国の基幹民族、「モルドヴィン人」を紹介します!歴史や「モルドヴィン人」を構成する2つの民族の違いについて書きました!
※ロシアの隣の隣のモルドバ共和国のモルドバ人ではありません。
モルドヴィン人(Мордва)
モルドヴィン人はロシア連邦西部のモルドヴィア共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は744,237人で、そのうち約45%の333,112人がモルドヴィア共和国に暮らしています。そのほかはサマーラ州に65,447人、ペンザ州に54,703人など、モルドヴィア共和国周辺の地域に多くが暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系の民族で、宗教はロシア正教と伝統宗教。
言語の違いなどからモクシャ族とエルジャ族の2つに細分化されます。
人種的にはコーカソイド(白人)ですが、モンゴロイド(黄色人種)の要素も若干混ざっているそうです。
ちなみに、日本語でもロシア語でも表記が似ているロシアの隣の隣の国、モルドバ共和国のモルドバ人とは一切関係はありません。(ややこしいですが。)
モルドヴィン人(モルドヴィア人)の歴史
モルドヴィン人は古代から記録が残る古い民族の一つです。
古代ギリシャのヘロドトスはモルドヴィン人について「人食い人種と変わらない」と記述していた…という話もあります。
モルドヴィン人とロシア人の接触が始まったのは11世紀。
まだロシアが「ルーシ」と呼ばれいくつもの小さな国々に分裂していた時代です。
そのころからモルドヴィン人とルーシのロシア人は領地をめぐり戦争を繰り返していました。
1221年にモルドヴィン人はルーシに主要な要塞を落とされ、その跡地にニジニ・ノヴゴロドという、現在でもロシア有数の都市である町をつくられてしまいます。
しかし13世紀、モルドヴィン人とルーシが争っているのを横目に、さらに強大な敵が現れました。モンゴル帝国です。
モンゴル帝国はモルドヴィン人の土地もルーシの国々も瞬く間に侵略、占領しました。
モンゴル帝国襲来の時、モルドヴィン人のうちエルジャ族は徹底抗戦して土地を破壊され北方の森林地帯に避難、モクシャ族はモンゴル軍に降伏し、共に行動をしていたようです。
モンゴル帝国支配下に近隣のルーシ諸国とともに入ったのち、エルジャ族はモンゴル帝国とその後継国家支配下のニジニ・ノヴゴロド公国の影響下に入り、一部がロシア正教に改宗します。
ニジニ・ノヴゴロド公国がモスクワ大公国(後のロシア)に組み込まれた1392年以降は、モルドヴィン人は徐々にモスクワ大公国からの圧力を受けるようになります。
モスクワ大公国の後継国家、ロシア・ツァーリ国による1552年のカザン・ハン国侵略時に、モルドヴィン人もロシアに忠誠を誓うようになります。
ロシアの支配下に入った後、ロシアはモルドヴィン人に重税を課しました。「ロシア正教に改宗した場合は税を軽くする」という政策の結果、多くのモルドヴィン人が伝統宗教からロシア正教に改宗することとなりました。
20世紀までモルドヴィン人はロシアに対して何度か反乱を起こしますが、どれも鎮圧されました。
そしてソ連時代に自治権を得て、現在に至ります。
モルドヴィン人(モルドヴィア人)小話
次はモルドヴィン人を構成する2つの民族、モクシャ族とエルジャ族の違いについて説明します。
まず、中世までは、モクシャ族とエルジャ族が結婚することはなかったそうです。
そして言葉もモクシャ語とエルジャ語は親戚関係にありますが、相互理解性はないそうです。
※「相互理解性」がないということは、お互いの言葉について勉強をしない限り、理解し合うことができないということです。たとえば、関東弁と関西弁には相互理解性がありますが、日本語と韓国語には相互理解性はありません。
見た目の違いは、モクシャ族は背が低く顔が大き目でどっしり頑丈な見た目をしている人が多いのに対し、エルジャ族は背が高く細い顔の人が多いそうです。そしてエルジャ族には金髪碧眼の人が多いんだとか。
宗教の面では、モクシャ族がほぼ完全にロシア正教徒を信仰しているのに対し、エルジャ族はロシア正教徒でありながら同時に古代からの伝統宗教への信仰も残しているそうです。
現在のモルダヴィア共和国では、東部にエルジャ族が中部~西部にモクシャ族が多く住んでいます。共和国の首都のサランスクはモクシャ族とエルジャ族が多く暮らすそれぞれの地域の境界あたりに位置しています。
モクシャ族とエルジャ族は以上でみたように言葉も文化も違う民族ですが、ロシア人は同じ「モルドヴィン人」という民族だと昔から捉えていました。結果、ソ連時代にモルドヴィア自治共和国をつくり、2つの民族は外からは同一視されてしまうことになりました。
まぁ、ここでもソ連のいい加減さが発揮されてしまったわけですな…
以上、モルドヴィン人の紹介でした!
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