こんにちは。唐突ですが、
「ロシアで日本語教師になる!」という目標を決めてから、実際になるまでどうしたかについて書きたいと思います。
また、どうしてロシアで働こうと思ったのか、どうして日本語教師になろうと思ったのかについては、以下の記事で既に書いていますの合わせてご覧ください。
www.hiroki-ru.work
- ロシアで日本語教師になる「夢」が「目標」になるまで(大学1~2年生)
- ロシアで日本語教師になる「目標」が定まってから(大学2~3年生)
- 大学院進学決定後・ロシア派遣への応募を決めてから(大学4年生)
- 採用決定・大学院進学後
- おわりに
ロシアで日本語教師になる「夢」が「目標」になるまで(大学1~2年生)
「ロシアで日本語教師になる」…そんな変わった夢をいつから持っていたのか。
まず前提からお話しすると、「日本語教師になりたいな~」「海外で働きたいな~」というぼんやりとした夢は高校時代から持っていました。ロシアについては、浪人時代に世界史の影響で、まずは同じ旧ソ連の「ウズベキスタン」に興味を持ちました。
そのようなぼんやりとした夢を持っていた自分は、大学1年生のときから副専攻で日本語教育を学び、ウズベキスタンはロシア語圏であることを知ったため、ロシア語を第2外国語で履修することにしました。
ただ、この時点ではあくまで「夢」であったので、大学1年生の間はサークルやバイトの方に夢中で、日本語教育関連の科目もロシア語の科目も成績は良くの悪くもなかったです。
そして大学2年生になった段階で「これはまずいな・・・」と思うと同時に参加を決めたのは、大学の短期の日本語教育実習プログラムでした。履修にあたって選考はあったのですが無事通過し、参加できることになりました。
そこで参加した実習で日本語教育の面白さややりがいを実感し、それまでなんとなくだった「海外で日本語教師になりたい」という「夢」が「目標」にかわりました。
このあたりのことは、こちらの記事に書いてあります。↙ よかったらどうぞ。
※ちなみに「ウズベキスタン」から「ロシア」に完全に方向転換したのは、このもう少し後で、短期留学で初めてロシアに行ってからです。
※ロシア語の勉強については、大学2年になった段階で本格的に取り組み始めました。
ロシアで日本語教師になる「目標」が定まってから(大学2~3年生)
「ロシア(ウズベキスタン)で日本語教師として働きたい。」大学2年生の後期には周りにこの目標を口にするようになりました。
そこで決めたのは以下の小さな目標です。
- 大学卒業までに「日本語教育能力検定試験」に合格する。(日本語教師の仕事を探す際の有効な資格の1つになるため。)
- 大学4年生の夏までに、ロシア語検定ТРКИ-1に合格する。(せめてこれくらいあれば日常生活で困らないという考え。)
- 日本語教育が学べる大学院に進学する。(海外では修士号がないと働けない場合が多いため。)
この3つの小さな目標達成のためにやったことは以下です。
1.の「日本語教育能力試験」合格のためにやったことは主に2つ。
1つは普段の副専攻の授業や学部の日本語学系統の授業をより真剣に受けること。
もう1つは検定試験対策です。
検定試験対策は2015年10月から始めましたが、まずはとにかく必要事項をたたき込もうと、『日本語教育能力検定試験 完全攻略ガイド』をひたすら読んだりメモして自分でまとめなおしたり・・・というのを2016年の8月まで繰り返していました。
そして2016年8月以降は予想問題集にも取り組み始め、10月の試験に備え始めました。
で、結果として2016年10月の試験に無事一発で合格することができました!
つぎに、2.のТРКИ-1合格のため、ロシア語力を上げるためにやったことですが、毎日最低1時間以上はロシア語の勉強をするようにしました。
詳しい勉強法はこちらに書いてあるので、今回は割愛します。
3.についてですが、大学院進学を決めたのは大学2年の秋。この時点で両親に相談し、最初は驚かれたものの背中を押してもらえました。家庭環境に恵まれていたと思います。両親には本当に感謝しかありません…。
その後しばらくは1.2.の目標達成を優先したため、大学院進学については後回しにしていました。大学院進学を本格的に考え対策を始めたのは大学3年生の夏からです。いくつかの院の説明会に夏から秋にかけて出席し、進学先を決めました。
進学先を完全に決めたのは大学3年の2月あたり。そこからは志望の大学院の入試に合わせた勉強を始めました。(学部と同じ大学の院なので受験したのは推薦入試になります。)
大学院進学決定後・ロシア派遣への応募を決めてから(大学4年生)
大学院の進学は2017年の6月に試験に合格し決定しました。
そして実はその前に「日露青年交流センター」が運営している「日本語教師派遣事業」に応募することを決めていました。
この事業は大学のロシア語の先生から聞いて2015年から知っていたのですが、
- 大学を卒業して資格があるなら早くに挑戦した方がいいのではないか。
- 休学をすることになるが、1度現場を長期で経験した方が院での研究に役立つのではないか。
と考え、院の入試前の2017年3月段階で受験を検討し始めました。
まずは、院に進ませてもらう上に休学までしようという話なので両親に相談。幸い「機会があるなら挑戦した方がいい」とここでも背中を押してもらえました。感謝です・・・
大学院の先生にも試験の面接時や先行履修の段階で、休学して行っても問題がないかを確認し、「大丈夫!」との話だったので、事業への応募を決めました。
その後は、
- 副専攻、大学院の先行履修を手を抜かずに頑張る。
- 日本語教育能力検定試験の問題の再復習(現場経験がないため。大学で学んだ内容を復習するため。)
- 会話・座学のバランスをとったロシア語の勉強
を頑張り、採用試験に備えました。
採用決定・大学院進学後
結果として勉強の甲斐があってか事業に採用いただき、今いるブリヤート共和国への派遣が決まりました。
ただ、派遣が決まったからと言って、今までの自分は座学はかなりやってきましたが、実践の経験がほぼありません。そこで、大学院では教育実習の科目が選択できるのですが、普通は1学期に1科目でいいところを2科目選択し、少しでも実践を積み派遣に備えました。
ちなみに選択した科目の1つは、教科書を使わずに自分たちで最初から授業を組み立ておこなうもの、2つ目はオンラインを活用した発音の授業と、ロシアに行ってから特に役立ちそうなものを選択しました。普通は1科目のところを2科目とったので、研究もあってヘロヘロでしたけど・・・。
・・・と、ここまでバーッと書きましたが、そんな感じでいろいろ取り組んで、最終的に2020年7月31日までウラン・ウデで働き、2020年11月現在、復学して日本で院生をしています。
おわりに
現在、先述の通り大学院に復学し院生をしていますが、修了後はまたロシアに戻りたいと考えています。
修士課程修了後もロシアに戻って日本語教師として働くには、
「大きい目標と小さな目標を明確に作って、そこに向かって努力しなければならない。」と考えています。
今回ロシアで働くまでも、大きな目標に対して小さい明確な目標をつくって1つ1つ攻略していきました。その結果が今だと思っています。
王さんと林先生の格言を混ぜた感じになりますが、
「正しいやり方で行った努力は絶対実る。努力が実らないのは、努力が足りないかやり方が間違っているからだ。」
と信じ、今後も頑張ります。
また、ロシアで日本語教師になるための条件や雇用形態などはこちらの記事にまとめてあるので、合わせてご覧ください。
それでは、長文、ご覧くださりありがとうございました。