今日は皆さんがどこかで1度は聞いたことがあるかもしれない民族…
「アルタイ人」を紹介します!
アルタイ人(Алтайцы)
アルタイ人はロシア中南部アルタイ共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は74,238人。そのうち約93%の68,814人がアルタイ共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
言語学をやっている人なら一度は聞いたことがあるかもしれません。「アルタイ諸語」という言葉を。
アルタイ諸語にはテュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族が含まれ、日本語や朝鮮語、アイヌ語もこの中に含まれるのでは…という説もあります。
そのアルタイ諸語の「アルタイ」を名に冠した民族なのです。
テュルク系の民族で、モンゴロイド(黄色人種)をベースとして、コーカソイド(白人)の遺伝子も混ざっているそうです。そのため人によってはやや彫りの深い顔をした人もいます。
宗教は34%がロシア正教。そのほかはブルハン教という、シャーマニズムとチベット仏教が融合した伝統宗教を信仰しているそうです。
アルタイ人の歴史
実は「アルタイ人」として民族がまとまり、アイデンティティーを持つようになったのは19~20世紀にかけてのこと。それまでは南北で言葉や風習がやや異なった民族として考えられていました。
アルタイ人が暮らすアルタイ共和国やアルタイ地方がある地では、古来からウイグルやキルギスといったテュルク系の民族やモンゴル人などその他多くの民族が移り住み、多くの民族が混血してきました。結果として成立したのが南北のアルタイ人です。
アルタイ人が暮らしていた地は13世紀にモンゴル帝国領になります。
モンゴル帝国が分裂・崩壊した後もモンゴル勢力である北元(※)の支配下にあり、その後1756年前後までは、モンゴル系民族オイラトが築いたジュンガル帝国の支配下にありました。
※中国を統治していたモンゴル民族の「元」王朝は、漢民族の「明」王朝によって中国から駆逐され、モンゴルに帰って「元」王朝を続けました。これが「北元」です。
清国の侵略を受けたジュンガル帝国は1758年に滅亡します。戦争の混乱を避けるため南部アルタイ人は1756年に自らロシアの支配下に入ることを申し出ます。北部アルタイ人の暮らす地域は南部よりもやや早い段階で既にロシア領になっていました。
1824年にはじめてロシア人の入植者がアルタイの地に到着。ロシア人の人口はどんどん増えていき、アルタイ人の暮らしも徐々にロシア化されていきました。
その後ソ連時代を経て、現在に至る…という流れです。
アルタイ人小話
アルタイ人はもともと遊牧民族でしたが、住んでいる家の形が様々でした。
南部アルタイ人はモンゴル人の家と同じようなユルタ(ゲル)やエヴェンキ人の家と同じようなアランチクに、北部アルタイ人はエヴェンキ人の家と同じような「アイル」と呼ばれる家に住んでいました。
20世紀以降、ほとんどのアルタイ人はロシア人の影響を受けて丸太で作った家に住むようになりました。
最後に、ロシア語ですがアルタイ人女子学生が、自身についてやアルタイ人のことについて語っている動画を調査の過程で見つけたので共有します。
以上、アルタイ人の紹介でした!
次の民族もお楽しみに!
これまで紹介した民族はこちらをご覧ください。