今回は実は意外と最近にロシアに組み込まれた民族、「トゥバ人」の歴史や文化をご紹介します!
トゥバ人(Тувинцы)
トゥバ人はシベリア南部トゥバ共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は263,934人。そのうち約94%の249,299人がトゥバ共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
テュルク系の民族で、宗教はチベット仏教と伝統宗教です。
人種的には日本人と同じモンゴロイド(黄色人種)になります。ただ、目や髪の色が生まれつき明るい人はいるようです。
赤がトゥバ共和国。
Автор: Stasyan117 - собственная работа, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39697426
トゥバ人の歴史
トゥバ人の民族としての形成が始まったのは8世紀~10世紀ごろと考えられています。
当時現代のトゥバ共和国の地には、テュルク系の民族の他、モンゴル系の民族やサモエード系の民族、インド・ヨーロッパ語系の民族が混住していました。
8世紀まで現在のトゥバの地は東突厥の支配下にあり、その影響を強く受けていました。東突厥が滅んだあとはウイグル帝国の支配下に入ります。
その後13世紀にモンゴル帝国の支配下に入ります。モンゴル帝国支配下でトゥバ人はモンゴル人の影響を強く受けつつ、13世紀~14世紀に民族として成立しました。
チンギス・ハンの母親がトゥバ人の祖先にあたる民族の出身だったという説もあるそうです。(チンギス・ハンの母親にはいろんな説があるため真偽はかなり怪しいですが。)
モンゴル帝国の崩壊後は、遊牧民のオイラート民族、その後にオイラート民族が築いたジュンガル帝国に支配されます。(トゥバ人も遊牧民族です。)
1755年、清国(中国)の乾隆帝はジュンガル帝国征服のための大軍を送り込みます。結果ジュンガル帝国は滅亡し、1755年~1766年の間にトゥバ人の暮らしていた地は清国の支配下となります。
その後はしばらく清国の支配下でした。清国の支配下でチベット仏教がトゥバ人に浸透し、現在もトゥバ人の文化に影響を及ぼしています。
その清国は1840年のアヘン戦争以降、欧米列強諸国の圧力を受けるようになります。ロシアからも例外ではなく、1860年以降はロシアからの圧力により、トゥバの地でロシア人と中国人による貿易が制限なく行われるようになりました。ロシア人の入植も徐々に進みます。
ロシアとの貿易開始やロシア人の入植はトゥバの地の近代化につながりましたが、ロシアの乱暴なやり方や清国商人との貿易競争により、トゥバの地の経済は疲弊していきました。
20世紀に入り、トゥバの地の帰属がロシア、中国(清国と清国滅亡後の中華民国)、モンゴルの間で問題になります。
1911年の辛亥革命後、トゥバ人の間でも「独立するか、ロシアの一部になるか、モンゴルの一部になるか」などで意見が割れましたが、結局ロシアに保護を求めることに決め、1912年にロシア皇帝に要望。1914年に正式にロシア帝国領に組み込まれました。
ロシア革命後の混乱期の1921年にトゥバ人民共和国が成立。この国はソ連とモンゴルが独立を承認した国でしたが、国際的には独立は認められておらず、実質ソ連の衛星国でした。結局1944年にソ連の支配下に入り、自治共和国となります。
ソ連崩壊後もロシア連邦内に残留し、現在までに至ります。
ロシアに入ったのは20世紀になってからというのが、調べていて少し驚きました。
トゥバ人小話
民族衣装を着たトゥバ人の女性たち
Автор: Agilight - собственная работа, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=50655431
トゥバ人の文化でとても有名なものは「ホーメイ(Хоомей)」「スグット(Сыгыт)」「カルグラー(Карыграа)」といった喉歌です。
「ホーメイ(Хоомей)」「スグット(Сыгыт)」では「喉詰め発声」という発声方法を使い、「カルグラー(Карыграа)」では仮声帯を使って発声します。いわゆる宇宙人の声マネのときの「ダミ声」のような感じになるのですが…
・・・と文字で説明しても絶対に伝わらないと思うので、YouTubeから動画を拝借しました。普通の声で歌っているところ以外は、口笛のようなものも含め、喉歌です。
以上、トゥバ人の紹介でした!
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