むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤート共和国に関する情報を中心に発信しています。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで勤務。2022年夏より同地に渡り再就職した日本語教師のサイトです。

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ロマ人 ~インドから世界中に離散した放浪民族~

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ヨーロッパやアメリカを中心に存在する放浪民族ロマ人について、ロシアでの歴史や現状をご紹介します!

 

ロマ人(Цыгане)

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ロマ人はもともと北インドに暮らしていたとされる民族。6世紀~10世紀ごろから北方への民族移動を開始したと考えられ、11世紀にはバルカン半島に到達。15世紀にはヨーロッパ各地でロマ人の到達が確認されています。ロマ人は各地を放浪しながら暮らしていたとされています。

現代ではヨーロッパや南北アメリカ大陸を中心とする世界各地に、最大で約437万人が存在していると考えられています。

 

ロシアでの総人口は推計22万人。(2010年のデータより。)ロシアの地域ごとの人口データは残念ながら見つけることができませんでした。

 

ロシア語での呼称はЦыгане(ツィガーニェ)。ビザンツ帝国時代の「不可触民」や「アンタッチャブル」を表すギリシア語「αθίγγανος」「ατσίγγανος」に由来していると考えられています。

ちなみに日本語での呼称の「ロマ」(Roma)は、ロマ人の自称です。

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ロマ人の民族旗

ロシアにおけるロマ人の歴史

ロシアの文献でロマ人の存在が初めて確認できるのは、ロシア帝国時代の1733年。アンナ女帝が出した軍隊の新税に関する法令の中です。

その中では、すでにロマ人が数世代にわたってロシア帝国の地に住み着いていることを示す内容が書かれています。

つまり、1733年よりかなり前の段階で、ロシアにロマ人が住み着いていたということになります。 

 

ロシア帝国は18世紀半ば以降、西側にも領土を拡大していくのですが、拡大した地にもロマ人が住み着いており、ロシア帝国のロマ人の人口はどんどん増えていきました。そして中央アジアやカフカースなど、ロシア帝国領内各地に広がっていきました。

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ヨーロッパ各地へのロマ人の広がりを示す図

1783年12月2日、エカチェリーナ2世は「ロマ人を農民階級としてみなす」法令を発布しました。これによりロマ人に税金が課されるようになりました。

ただ、実際にはロマ人は貴族階級以外になることは許されていたため、商人になったり、定住して富豪となるロマ人も現れました。

 

また、ロマ人の音楽には一定の評価があり、1774年にはモスクワにロマ人の音楽隊が呼ばれ公演が行われました。この音楽隊は後にロシア帝国のプロのロマ音楽隊となり発展していきます。

19世紀はじめには農奴階級だったロマ人の合唱団が自由を得て、モスクワやペテルブルグで活発な活動を始めました。

ただ、同時に19世紀以降はロマ人を危険視するような発言が見られ始め、アレクサンドル1世がロマ人の一部をベッサラビアに追放するなどの動きがありました。

ロマ人は軍事面にも組み込まれるようになります。1812年の戦争ではロシア軍に対して軍事資金や兵隊の供給を行いました。

 

19世紀末にはロマ人も学校教育を受けるようになります。学校には定住していたロマ人の子ども以外にも、放浪生活を送るロマ人の子どもも通っていました。

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20世紀初頭に撮影されたロシアのロマ人。

1917年に始まるロシア革命では、定住し裕福だったロマ人の層に大きな打撃を与えました。彼らは財産を捨てて放浪を始めました。貧乏人に対して赤軍が手を出すことはあまりなかったため、わざと貧しい放浪の身になったと考えられています。

ロシア内戦の後、ロマ人たちは自分たちの出自が発覚するのを恐れて、子供たちがジプシー(ロマ人を含む放浪民族の呼称)以外の人と関わるのを避けさせたり、学校に通わせなかったりしました。その結果、ロマ人の教育の遅れがこの時期に発生しました。

 

1920年代末までにソ連当局は、ロマ人の活動家とともに、ロマ人をソ連の一民族として成立させるため、様々な措置を実施しました。例えば、1927年にはウクライナでロマ人の定住化に向けた支援案が可決されました。

第2次世界大戦時では、軍に入り活躍するロマ人がいる一方、クリミア半島のロマ人は、クリミア・タタール人とともに中央アジアに強制移住の憂き目に遭いました。

 

1956年、ソ連政府はロマ人に対して放浪禁止令を発布。ロマ人には住居が与えられ、仕事があっせんされるようになります。ただ、ロマ人に対する差別や偏見も同時に広がってしまいました。

ロマ人も政令に従って定住する人がいる一方で、放浪をかたくなに続ける人もいました。ただ、結果的に90%以上が定住したそうです。

 

ロシアにおけるロマ人の現状

ロマ人は世界各地で貧困や差別、ロマ人が関連する事件が叫ばれていますが、残念ながらロシアも例外ではなさそうです。

 

ロシアでは、ロマ人の貧困化、周縁化、犯罪増加が懸念されている様子。中等教育レベルに達する者の割合もゆっくりですが低下しており、思春期の薬物使用の問題もあるそうです。また、麻薬密売や詐欺で捕まるロマ人も多いのだとか…。ロマ人の物乞いの問題もあるそうです。

一方で、音楽家や芸術家として活動するロマ人や、製造業や建設業で普通に働くロマ人も多いのだとか。

そしてロシアのロマ人の間では、元の形からは変化はしていますが、ロマ語がまだ使われているのだとか。

 

「ロシアのロマ人」でインターネット検索をしても、暗い情報や明らかに差別をしているような情報も多く悲しくなってしまいました。ただ、探してみると明るい情報もありました。

おそらく、差別感情から悪いニュースが先に出てしまう面もあるのだと思います。行政側の施策や市民の歩み寄りにより、ロマの人たちがロシアで平和に暮らせるようになればと思いました。

 

以上、ロマ人の紹介でした!

これまで紹介した民族はこちらから。

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