フィンランド近くのロシア北西部の少数民族、ヴェプス人を紹介します!
ヴェプス人(Вепсы)
ヴェプス人はカレリア共和国を中心に、ロシア北西部に暮らす少数民族。
ロシアでの総人口は5,936人。そのうち約58%の3,423人がカレリア共和国に暮らし、他にはレニングラード州に1,380人など、ロシア北西部に多くが暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系の民族で、宗教はロシア正教。
ヴェプス人の歴史
ヴェプス人の起源はよく分かっていません。ほかのバルト海沿岸の民族やフィン系の民族の起源と関連していることは間違いないと考えられています。
ヴェプス人が歴史上の文献に初めて登場するのは6世紀。ビザンツ帝国の歴史家ヨルダンの書いた本に登場します。6世紀~14世紀にかけてのルーシ諸国(のちのロシア)やアラブの文献に、ヴェプス人への言及が散見されています。
ヴェプス人の祖先はバルト地方の南東に暮らしていたと考えられており、11世紀~14世紀にかけて、スヴィリ川北部のオロネツ峡谷に移住しました。この時期に北ドヴィナ川流域にも領土を広げました。
ヴェプス人が暮らしていた地は、12世紀以降にノヴゴロド共和国の影響を受け始め、徐々にその支配下に入ります。
15世紀にノヴゴロド共和国がモスクワ大公国(のちのロシア)の支配下に入った際に、ヴェプス人もその支配下に入りました。
18世紀の初めにはヴェプス人がオロネツ(ペトロフスキー)の冶金工場や武器工場、ロデイノポリスクの造船所で働いていたことが確認されているそうです。
その後、ソ連時代の1920年代~1930年代にかけて、ヴェプス人の自治区が設定され、ヴェプス人のための議会や集団農場が設立されました。1930年代には学校でラテン文字アルファベットを使用したヴェプス語教育が小学校で始まりました。
1957年と1959年にヴェプス人の自治区が廃止が行われました。この廃止の結果、ロシア人の流入やロシア人との混血が進み、ヴェプス人の数は減少し文化が衰退していくことになります。
そのため、現代のヴェプス人はロシア語が母語でヴェプス語を話せない人も多いのだとか…。
1980年代後半からヴェプス文化再興の動きが始まり、現在に至ります。
ヴェプス人小話
今回はヴェプス人の本来の母語、ヴェプス語についてお話します。
1930年代、改良を繰り返しながらヴェプス語の表記法がつくられていきました。1937年にラテン文字を使用したヴェプス語表記法が完成しました。
1980年代からはキリル文字を使った表記法も登場しましたが、現在は2007年に改良されたラテン文字での書記法が採用されています。
1930年代に始まった学校のヴェプス語教育も1950年代までには廃れてしまいました。
その後、ヴェプス語教育が復活するのは1980年代後半以降。
小学校1~4年生向けの教科書と、ヴェプス語-ロシア語の辞書などが出版され始めました。
1993年には「KODIMA」というヴェプス語の新聞が創刊。現在も続いています。
2010年の調査でヴェプス語を話す人口は3,613人。ヴェプス人の人口(5,936人)よりも少ないです。後世にヴェプス語が伝わることが願うばかりです。
以上、ヴェプス人の紹介でした!
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