かつて大ペルミ公国を築いた、コミ・ペルミャク人の歴史や文化を紹介します!
コミ・ペルミャク人(Коми-пермяки)
コミ・ペルミャク人はロシア西部ペルミ地方に暮らす民族。1920年代までは「ペルミャク人」と呼ばれていました。
ロシアでの総人口は94,456人で、そのうち約86%の81,084人がペルミ地方に暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系の民族で、宗教はロシア正教。
15世紀のロシア正教流入以前の伝統宗教が生活に根付いている側面もあります。
コミ・ペルミャク人の歴史
以前ご紹介したコミ人と共通の祖先をもち、6世紀ごろに分化したと考えられています。
7世紀以降、コミ人とコミ・ペルミャク人の暮らしていた領域はヴォルガ・ブルガールと隣接することになります。ただウドムルト人などとは異なり、より北方に暮らしていたコミ人とコミ・ペルミャク人はその支配下には入りませんでした。
12世紀に入るとロシア人が建てたノヴゴロド共和国とかかわりを持つようになります。
その後、14世紀にコミ・ペルミャク人は、統一国家大ペルミ公国を建国。
大ペルミ公国はロシア人のノヴゴロド共和国やモスクワ大公国(のちのロシア)と戦うことになりましたが、影響下に入ることはありながらもしばらくは独立を保ちました。
1472年、モスクワ大公国のイワン3世は、モスクワの商人が侮辱されたことを口実に大ペルミ公国を攻撃、支配下に組み込みます。
モスクワ大公国(のちのロシア)の支配下に入った後も、その中で大ペルミ公国は1708年まで存続しましたが、徐々にロシアの傀儡国家となり、最終的には3つに分割されました。
コミ・ペルミャク人はロシアの支配下に入った後で一部はロシア人に同化。
その後、シベリア征服にも協力し、ロシアの支配下から抜けることなく、ソ連時代を経て現在に至ります。
コミ・ペルミャク人小話
コミ・ペルミャク人の伝統や習慣は現在でも生活に大きく影響しているそうです。
現在まで残っているとされている生活の伝統や習慣に・・・
- 悪口は危険であり世間から非難されること。かつては子どもの前で人の悪口を言うことは、子どもの体にとって良くないことだと考えれていた。
- 家族・親戚や親しい人が病気になった時は地母神に、病人のために祈りをささげる。
- 妻は母、父、姑、夫を敬う義務がある。夫は妻の家族と良好な関係を築く義務がある。
- コミ・ペルミャク人はかつて死後に異世界に行く魂の存在を信じていた。そのため、故人の紺桶には生前好きだったものがつめられる。お墓参りのときはお供えの食べ物を持って行く。
などがあります。
最後に、コミ・ペルミャク人の伝統的な歌と民族の地の写真を組み合わせた動画を、YouTubeからお借りして終わりにします!
Коми-пермяцкая песня "Нёль вон" Komi-Permyak Song "Ńol´ von"
以上、コミ・ペルミャク人の紹介でした!
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