ロシア北部の独特な文字を持った民族コミ人について、歴史や言語を中心に紹介します!
コミ人(Коми)
コミ人はロシア連邦北西部、コミ共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は228,235人。そのうち約89%の202,348人がコミ共和国に暮らしています。(2010年の統計より)
フィン・ウゴル系の民族で、宗教はロシア正教。一部で伝統宗教も残っているそうです。
形質的にはコーカソイド(白人)の遺伝子がメインですが、モンゴロイド(黄色人種)の遺伝子も混じります。写真を見る限りではやや東洋系の顔立ちの人も見受けられますね。
コミ人の歴史
コミ人は以前このブログでも紹介したマリ人やウドムルト人、モルドヴィン人と共通の祖先をもっており、6~7世紀ごろまでに民族が分かれてコミ人が誕生したようです。
7世紀以降ヴォルガ・ブルガールと隣接することになります。ただウドムルト人などとは異なり、より北方に暮らしていたコミ人はその支配下には入りませんでした。
11世紀に入るとロシア人の影響力が強まり、ロシア人が建てたノヴゴロド共和国の影響下に入ります。
13世紀に入ると、コミ人の地(小ペルミ)はロシア人のノヴゴロド共和国の支配下に入ります。
1379年からの宣教師ステファンの積極的な布教活動により、14世紀のうちにコミ人はロシア正教を受容しました。
ノヴゴロド共和国はモスクワ公国(のちのモスクワ大公国→ロシア)と断続的に戦争を続けており、コミ人もその影響を受けます。
結局1478年にノヴゴロド共和国はモスクワ大公国に吸収され、コミ人たちもロシアの支配下に入りました。
ロシアの支配下に入った後も、コミ人は民族の居住範囲を徐々に拡大していきました。
そしてその後もロシアの支配下から抜けることはなく、ソ連時代を経て現在までに至ります。
コミ人小話
コミ語は現代にも伝わっており、2011年以降、コミ共和国ではコミ語を小学1年生から学校で学ぶことが義務化されました。
2014年現在で97%の学校でコミ語教育が行われており、コミ人以外の子どももコミ語を勉強します。
14世紀にコミ語のアルファベットが確立し、17世紀まで使用されていました。17世紀以降はロシア文字での表記に移行しましたが、現在まで民族の言葉が伝えられているのは、とても良いことですね。
コミ人には多くの民間伝承が残っています。
また、詩や音楽も昔から受け継がれており盛んです。そしてその音楽には特徴があり、どんな曲にもポジティブな意味が必ず入っているそうです。
以上、コミ人の紹介でした!
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