こんにちは!
先日お知らせしたとおり、本日より新連載【ロシアの民族】を始めます!
連載の記念すべき(?)第1弾の民族は、いろいろ悩んだ挙句、こちらの民族にしました!(タタールとかブリヤートとかマリとか考えていたのですが・・・)
カルムイク人です!
カルムイク人(Калмыки)
カルムイク人はロシア南西部、カルムイク共和国の基幹民族。
ロシアでの総人口は183,372人、そのうちカルムイク共和国に総人口のほとんどの162,740人が暮らしています。(2010年の統計より)
宗教はチベット仏教が多数派。ロシア正教徒も少数ながらいるみたいです。
カルムイク人の多くが暮らす「カルムイク共和国」は、ロシア西南部にありながら仏教寺院が数多くあるため「ヨーロッパ唯一の仏教国」とも呼ばれています。
赤がカルムイク共和国
Stasyan117 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=39697407による
しかし、どうして東アジアから遠く離れたこのヨーロッパ側の地に、見るからに東アジア系の、そして仏教徒の民族が暮らしているのか気になりませんか?
今回はそんなカルムイク人の歴史に焦点を当てて、解説していきます!
カルムイク人の歴史
カルムイク人はもともと、「ジュンガル」と呼ばれていた現在の中国の北西部~カザフスタン東部あたりに暮らしていたモンゴル系の遊牧民族の1つでした。
しかし16世紀にジュンガルの地で戦乱が発生。
難を逃れるため、カルムイク人は16世紀末~17世紀前半にかけて民族の大移動を開始します。最終的に到達したのがヴォルガ川河畔の、現在のカルムイク共和国のあるあたりです。その地に「カルムイク・ハン国」と呼ばれる国を建国します。
カルムイク・ハン国はロシア帝国と同盟を結び、露土戦争、スウェーデンなどと戦った大北方戦争、クリミア・ハン国との戦争にロシア側として協力しました。
その後、カルムイク人がもともと暮らしていたジュンガルの地では、1759年に清国によってジュンガルの国が滅ぼされました。さらにその後、伝染病の蔓延などによりカルムイク人がもともと暮らしていた地が空白地帯となります。
そこで当時のカルムイク・ハン国の指導者ウバシは1771年、民族の故郷の地への帰還を決定します。
しかし、その帰還の際、例年であれば凍結するヴォルガ川が暖冬で凍結せず、ヴォルガ川の西側にいた人々は取り残されてしまいました。
この取り残された人々はそのまま残留を続け、現在カルムイク共和国に暮らすカルムイク人のご先祖様となったのです。
その後取り残されたカルムイク人たちはロシア帝国に吸収されました。
ソ連時代の1943年~1944年にかけて、カルムイク人は「ナチス・ドイツに協力した」という濡れ衣を着せられ、ウラル地方やシベリア、中央アジアに強制移住させられる憂き目に遭います。
1956年にようやく名誉が回復され、ヴォルガ川河畔に戻ることになり、現在に至ります。
以上がカルムイク人の歴史です。大移動に次ぐ大移動を経験した民族で、島国の日本人からしたら考えられない歴史の持ち主ですね…💦
おわりに
カルムイク人が多く暮らすカルムイク共和国の首都エリスタでは、写真のような仏教寺院がたくさんあるそうです。
以上、【ロシアの民族】第1弾、カルムイク人の紹介でした!
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