2020年6月24日に開催された「大祖国戦争戦勝75周年記念パレード」の様子についてお話したいと思います!
そもそも「大祖国戦争」って?
ロシア語ではВеликая Отечественная войнаと呼ばれ、日本では「独ソ戦」の名前で呼ばれることが普通です。
1939年に「独ソ不可侵条約」という互いに互いを攻撃しないという条約を結んでいたドイツ・ソ連両国ですが、1941年ヒトラー率いるナチス・ドイツは突如ソ連に奇襲攻撃をしかけました。
この戦争でドイツはモスクワまであと一歩のところまで侵攻し、ソ連各地の都市が攻撃され大多数の死者(一説によると1470万人)を出しました。
しかしドイツ軍は慣れない寒さによって徐々に勢いを失い、1943年7月以降はソ連が本格的な反撃を開始。ついにはドイツ東部にまで攻め込み、1945年5月9日(モスクワ時間)にドイツは降伏しました。
ここまでの話はWikipediaをご参照ください。
そのドイツが降伏した5月9日に、毎年ロシアでは各都市で戦勝パレードが行われています。
何で今年は6月24日?
本来のパレードの開催日であった5月9日の少し前、ロシアではコロナウイルス感染拡大がピークを迎え、1日に1万人以上が感染する事態となっていました。
そこでプーチン大統領はパレードの延期を発表。その際選択した日付がこの6月24日。
6月24日は、1945年に初めてドイツに対する戦勝パレードが赤の広場で行われた日だそうです。よってこの日を選択したんだそう。
パレードの様子
パレードの様子をTwitterにアップした動画とともに紹介します。
ウラン・ウデでは10時からパレードが始まりました。
ただ、テレビでよく見るような戦車や軍人の乗った車、軍人が広場で行進する様子は一般の人は広場に入れず見られませんでした。
戦闘機も飛びました。 pic.twitter.com/eXAK72h7Vk
— むかいひろき🇷🇺ウラン・ウデに戻るため頑張る院生🐯 (@hiroki_ru_th) 2020年6月24日
戦闘機が4機ほど上空を飛んだのは真下で見られました。(動画はそのうちの2機)
その後、柵の前にいた見張りから
「この後軍隊は勝利記念公園に向かいます。そこまでの道はそばで軍隊を見られますよ。」
と呼びかけがあり、先回りして移動を開始。
移動を開始したのが10時45分くらい。そこから戦車などは来ませんでしたが、軍人が勝利記念公園に向けて行進してきました。
なお、軍隊が行進している横で路面電車は通常運行(笑)
この行進は本当にすぐそばで見られました。かなり近くから追いかけている女性もいました。
— むかいひろき🇷🇺ウラン・ウデに戻るため頑張る院生🐯 (@hiroki_ru_th) 2020年6月24日
路面電車は普通に走ってますね(笑) pic.twitter.com/tIzVRImwdN
また、かなりそばから写真をとっている人やすぐ後ろから追いかけている女性もいました。通りから声を掛けられ、そちらを向いて軽くニコッと笑った軍人も。けっこうユルかったです。
そして最後はここ勝利記念公園に。
ゴールはこの勝利記念公園みたいですね。
— むかいひろき🇷🇺ウラン・ウデに戻るため頑張る院生🐯 (@hiroki_ru_th) 2020年6月24日
その後、流れ解散みたいになってますね(笑) pic.twitter.com/oGJjO7wiuR
そこでもう一度集まって何かをするのかと思ったら、そのまま通り過ぎて奥で解散していました。
おわりに
以上、パレードの様子をまとめてみました。
本来5月9日に行われる場合は、この後「不滅の連隊」という市民が戦争に参戦した祖先の肖像をもって行進するイベントや、中心部各所で夜までコンサートが行われるのですが、今年は流石にコロナウイルスの影響でできなかったようです。
それでは、コロナのため帰国がいつになるか分かりませんが、これからもいろいろ更新します!むしろ帰国後の方が時間があるので、いろいろ更新したいと思います!それでは!
追記:こちらの動画で今日のパレードの様子がすべて見られます!よかったらぜひ。