むかいひろきのロシア・ブリヤート共和国情報局

ロシアやブリヤート共和国に関する情報を中心に発信しています。ブリヤート共和国で日本語教師として2018年8月~2020年7月まで勤務。2022年夏より同地に渡り再就職した日本語教師のサイトです。

ーおすすめ記事ー

ブリヤート共和国の首都、ウラン・ウデってどこ?どんなところ?

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こんにちは!

今日は自分が暮らしていたウラン・ウデについて、実際に暮らしてみての感想も混ぜてまとめたいと思います!(2021年1月20日更新)

  

 

ウラン・ウデの基本情報

ウラン・ウデ市の人口は43万9128人(2020年)。ここ最近は年々増えています。

ロシア連邦のブリヤート共和国の首都です。「共和国」と名前はついていますが、別に独立国のような感じはありません。日本の都道府県のような感じでしょうか。つまりウラン・ウデは県庁所在地のような都市です。

ロシアの中の「共和国」については、こちらの記事をどうぞ。

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地図の赤い点の辺りにあります。ちなみに点の横の白い部分はバイカル湖。

バイカル湖は市内からバスか車で2~3時間。電車で行く場合も2~3時間です。

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11月ごろから凍り始め、4月の終わりから徐々に溶けだします。写真は2月。歩いても全然大丈夫です。

 ウラン・ウデ市内の人口比率は2010年現在で、ロシア人62.1%、モンゴル系のブリヤート人31.9%となっています。そのほか、ウクライナ人やエヴェンキ人などが暮らしています。よって、街中でも日本人と似た見た目の人を見ることがとても多いです。

 

年間の平均気温は−0.1度、特に1月は平均気温が−23.3度と冷え込みます。

実際に住んだ感覚では、12月後半~2月が最も寒かったですね。ただ、夏は暑く、6月後半から最高気温が35度を超える日がでてきました。

 

他の都市からの主なアクセス手段は飛行機と鉄道で、中心部から車で30~40分程度の所にバイカル空港、中心部から徒歩15分くらいのところにウラン・ウデ駅があります。

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ウラン・ウデ駅。2019年年末に改修工事が8割方完了し、新しい駅舎が利用できるようになった。

ウラン・ウデの観光地

仏教寺院やキリスト教会、ソ連時代のモニュメントなどが市内に点在しています。また大きな劇場も数か所あります。

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ウラン・ウデといえばこれ!ギネスブックにも載ったレーニン像

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第二次大戦後の日本人シベリア抑留者が建てた国立オペラ劇場。

そして、やはりウラン・ウデの特徴と言えばチベット仏教のお寺。市内各地に点在しています。チベット仏教のお寺はдацан(ダツァン)といいます。

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ハンビィン・フレという名前のお寺。市北部にある。

市内から少し離れたイヴォルギンスク村には、イヴォルギンスキー・ダツァンという有名なお寺があります。ロシアのチベット仏教総本山とされています。即身仏になられたチベット仏教のお坊さんも安置されているそうで、2018年11月ごろ(多分)の貴重なお披露目の機会には、モンゴルから多くの参拝客が来ていたそうです。

イヴォルギンスキー・ダツァンについては、この記事をご覧ください。

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博物館は小さく見ごたえの少ないものが多いですが、市北部にある『Этнографический Музей Народов Забайкалья(ザバイカル民俗学博物館)』は、シベリア各地から集められた古い建物が展示されていておすすめです。

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入り口から撮った写真。奥の方に建物が見えますが、さらにその奥の森の中にもあります。ミニ動物園つき。

オススメの観光地についてはこちらの記事にまとめたので、併せてご覧ください。

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市内から行ける観光地として、先述のバイカル湖の他、『Тарбагатайский район(タルバガタイ地区)』があります。ここにはСемейские(セメイスキエ)とよばれるロシア正教の古儀式派の人々が暮らしています。

セメイスキエの人々は17世紀のロシアの宗教改革の際に迫害されポーランドなどの隣国に逃れた人々の子孫です。18世紀に融和政策により呼び戻され、シベリアに移住しました。

ここでは、昔のロシア人の暮らしが体験できます。

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 なお、タルバガタイ地区へは車でしか行けないため、市内の旅行社でツアーを予約する形になります。

ウラン・ウデから出発するツアーの申し込みは、こちらの旅行社がオススメです。

※英語対応可

jassotour.ru

同僚の先生の紹介で、2020年1月にСтепной кочевникというウラン・ウデ近郊の村にこの会社のツアーで行ってきましたが、スタッフの方は大変親切で、内容も面白かったです。

 

ウラン・ウデって実際どんなところ?

ここでは実際に暮らして感じたことをまとめます。

 

ウラン・ウデの町並み

まず、ブリヤート共和国といえば仏教…というイメージがあったので、来る前まではタイの地方都市がそのままロシアに移ってきた感じかな…と勝手に想像していました。

はい、タイとはぜんぜん違います。 

町並みはいたってロシアです。中心部のアルバート通りはヨーロッパ風の小洒落た建物が並んでいます。

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9月のアルバート通り

そして日本の団地にも少し似たような集合住宅が多いのが特徴です。というより市内の面積の半分以上が集合住宅で占められている気が・・・。

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よくあるタイプの集合住宅。日本と違って1階の入り口は暗証番号を入力しないとは入れない。

ウラン・ウデでの買い物事情

シベリアということで、不便な雪だらけの田舎を想像する人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。

大きなショッピングセンターが市内に何か所もあり、基本的に何でもそろいます

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よく行くショッピングセンター、フォーラム

また、日本の製品も案外手に入ります。食品はほぼ手に入りませんが、化粧品は専門のチェーン店(「МЭГУМИ(メグミ)」)があるくらいです。韓国や中国の製品は、食品を中心にかなり多く流入しています。

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スーパーの日本製と韓国製の洗面用品コーナー

日本料理屋も多く、味もそこそこおいしいです。(ただし日本人のオーナーやシェフは見かけたことがありません。)

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すし屋で食べた寿司。 基本おいしいが巻きずしには必ずチーズが入ってきます。(いらない)

ウラン・ウデの交通

主に、トランバーイ(路面電車)とマルシルートカ(ミニバス)が中心です。トランバーイは15ルーブル、マルシルートカは20ルーブルで市内は移動できます。(2020年7月現在)

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マルシルートカ。右前方に出入り口用のドアがあり自動で開く。席は10人分くらい。混むときは手すりにつかまり立ち乗り。

マルシルートカは降車時に、運転手に直接現金で支払います。

※一部カード払い対応のマルシルートカもありますが、カードで払っている人はみたことがありません。

トランバーイは青いベストを着たスタッフがお金を回収しにやってきます。支払うと小さなチケットがもらえます。

ちなみにマルシルートカの乗り方については、こちらに詳しくまとめました!

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また、市内では日本製の中古車が多く走っています。

日本の車検のシールも張ったまま、右ハンドルのままで走っています。日本のトラックを見かけることも多いですよ。 

 

ウラン・ウデの気候

寒いです。2018年~2019年は12月末~1月5日くらいまでは最低気温が−35度前後、最高気温が−25度前後という状況が続きました。

ただ、雪が少ないですね。ウラン・ウデは別名「太陽の都」と言われているのですが、晴れている日がとても多いです。

 

雪が降る場合も、日本のようにしっとりしたものがドカドカ積もることは少なく、砂のような雪がゆっくり地面を舗装していくかのように降っていきます。なので、日陰の道やあまり人が通らない道を除いて滑ることも少なく、ズボズボ足がはまることもなく、比較的道は歩きやすいです。

だいたい↓の写真のような感じですね。

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教会の近くは古いロシア式の家が多いです。

 春~秋を含めたウラン・ウデの1年間の気候については、こちらに詳しくまとめましたので、併せてご覧ください。

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ウラン・ウデの人々

ロシア人62.1%、ブリヤート人31.9%と公式はなっていますが、実際に町を歩いてみると半々くらいのイメージです。
私は見分けはつきませんが、エヴェンキ人などほかのアジア系のロシア人も一定数暮らしているそうです。

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民族衣装を着たブリヤート人

市内ではロシア人もブリヤート人も何も変わりなく同じ生活をしています。学校もロシア人もブリヤート人も同じ学校に通うため、民族間のイザコザも僕が見た限りではないように思えます。

この辺の事情の考察は、こちらの記事に書きました。

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ブリヤート料理のお店も、ブリヤート人もロシア人も働いていて、どちらもお客さんとしてよく食べに来ていますね。

また、旧正月のブリヤート人独自の祝日は、ブリヤート共和国全体で休日になります。

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宗教面では、先述のダツァンに代表されるようにブリヤート人はチベット仏教を信仰している方が多いです。ロシア人はロシア正教ですね。

ただ、日本と同様、若い世代は宗教に無頓着の人もかなり多い印象を受けます。

食べ物や宗教の面では独自性を保っているブリヤート人ですが、ブリヤート語を話せる人口はどんどん減っているそうです。少し寂しいですね。

 

おわりに

以上、ウラン・ウデ市についてまとめてみました!

少しは興味をお持ちいただけましたか?

「行ってみたい!」と思った方は、合わせてこちらの記事もご覧ください。

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